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単なる雑記帳。口調とか(人格とか)色々化けますが、
もともとその時々によって変わる奴なのでご心配なく。
どれもこれもが混じりっ気なしの泡100%であります。
つまり中身なし。
2004.10.1.Fri
9月28日からの続き物です。
携帯がやってきたということで、朝飯を撮影。
ご飯・ふりかけ・味噌汁・卵焼き・和え物・牛乳。離乳食から解放されたと思ったら、今度は粗食です。俺は燃費が悪いので、こんなんではおやつにもなりません。
禁煙4日目ともなるとニコチン中毒も治まってきますが、これはちょっと堪えます。昨日、お医者さんに内緒で彼女様にお菓子を少し買ってきてもらったのに、あっという間に喰い尽くしてしまいました。
内臓が弱ってるとかそういうのはどうでもいい。腹いっぱい喰わせれ。
力まかせに怒鳴ってやりたい気持ちでいっぱいです。
そんな昼下がり。携帯にメールが届きました。
お疲れさま。しゃなだよん。
今大和のガスト。さっきマンションを眺めてきたが、中庭に人夫が集まってた。外見上は変わらんので、どの程度の進度か解らんけど、頑張れー♪
あぁなんということでしょう。彼は今、俺が勤めていた現場のそばにあるファミレスで優雅にお茶をすすりながら、俺がいるものと信じているのです。遠く離れた山奥の病院で入院してるなど、夢にも思ってないのです。
そして気がつきました。携帯を手にしておきながら、友人達に連絡しようという考えが出てこなかったことに。
とりあえず返信しておきます。
ふふふ。まさか俺が今、大和とはかけ離れた地で車椅子生活をしてるとは夢にも思うまいて。
伊勢原にある東海大学付属病院つうとこに入院しております。お見舞いよろしくv
っても、来週には退院予定だけど。やることないし飯はまずいし早く帰りてー!
なお、この時点では退院予定の話など一切出てません。単に俺の希望です。しかも、どのような理由で入院してるのか書いてません。カロリー不足で脳の働きが鈍っていたのでしょう。
そのついでに、mAttyにも入院報告を送っておきます。
夕方になると巡回のお医者さんが来て、やっと小便チューブを外してくれました。傷口の経過が良好ということで車椅子の使用も許可され、おまけに消化の良いものという条件で、食糧の自給まで許可してくれました。あぁ…アンタええ人や…。これで雑誌を噛みながら食糧配給を待つ日々から解放されるのね…。
(ごめんなさい。昨日内緒でお菓子ぼりぼり喰いました)
早速車椅子を要求し、遥かなる冒険の旅路へと出発です。
普段は引き篭もるのが大好きなくせに、こういう時は元気なもんです。初めて乗る車椅子を漕ぎながら、あっちゃこっちゃ走りまわりました。しかし車椅子というのは思ったより腕の疲れる乗り物で、途中で死んだようにぐったり止まっては思い出したようにまた発進、の繰り返し。
というのも、入院している東海大学付属病院、馬鹿みたいにでかい。伊達に救急へりを備えてるわけじゃありません。コンビニや本屋なんて序の口、クリーニング屋に床屋に喫茶店、果ては銀行や郵便局まで揃えてあり、ちょっとした都市機能を有しているのです。もちろん外に出ればタクシー乗り場とバスターミナル。バス停じゃありません。バスターミナルです。
病院から寝巻きを用意するよう言われたので、コンビニで購入します。今は病院から借りてる安っぽい浴衣もどきであり、ちゃんとした寝巻きが欲しいところです。
4000円。
うちにある3着の俺用寝巻き、全部足しても3500円なんですが。あいたたた…。
まぁ仕方のないことです。昨日彼女様に寝巻きも持ってきてもらえばよかったです。
そしてありったけの食料を懐に入れ、外で至高の一服。
ぶっはー!生きてるって素晴らしい!
仮初めの自由をひとしきり満喫したら、そろそろ帰ることにします。愛車を駆り、来た道を引き返…。あれ。
病室を出る前に確認したはずなのですが、広すぎてどこへ向かえばいいのかわかりません。5Cビョウトウッテドコデスカ。調子に乗ってはしゃぎすぎたせいで腕の疲労もピークです。
廊下の端でぐったり停まってると、優しい看護婦さんが病室まで送り届けてくれました。ドウモアリガトウ。
夜、ふと便意を感じました。そういえばここ数日お通じがありません。自分で移動できるようになったことだし、トイレに行きます。
むぅ。力むと傷口が痛む上、腕から飯を飲んでたせいか、ちょっと便秘気味のようです。出てきやしません。中身もあまり入ってないだろうし、無理してもしょうがない。さっさとあきらめます。
ともあれ、永遠輪廻な空腹も満たされ、ニコチンの補給もできるようになり、ようやく安眠がかなうようになりました。新しく補充したPC雑誌も噛み噛みせずにすみそうです。
2004.10.2.Sat
9月28日からの続き物です。
なんで病院というやつは朝が早いのでしょう。なにがなんでも6時に起こされます。ゆうべは安眠なんて言って起きながら3時くらいまでファミコン探偵倶楽部やってたので、えらい眠い。
検温やら血圧やら採血やらしながら、看護婦さんが言いました。
hrさん、もうちゃんと歩けますか?
はい?
寝耳に水です。なんと、俺の知らないところで歩行許可が出ていたのです。まだ傷口も塞がってないのに大丈夫なのか疑問ですが、医者がOKって言うならいいのでしょう。
というわけで、早速挑戦してみます。やっぱり激痛が走るものの、一昨日のような耐え難い痛みではありません。手すりにつかまりつつ、便所までの10mを見事に往復できました。右脚はほとんど使わなかったとはいえ、一昨日は立つことさえできなかったわけですから、これはすごいことです。2日の間にこんなに治っちゃうものなんでしょうか。
健常者には理解できない「自力で歩けることのありがたさ」ってやつを味わい、朝から大仕事をこなしたところで、おなかが空きました。お待ちかねの朝ご飯です。
修行僧にでもなった気分です。でも、今の俺は今までとは違うのですよ。ふふん。
2分で粗食をたいらげ、早速外に行きます。かろうじて歩けるようになったとはいえ、まだ10m往復でやっとの状態ですから、延べ300mはあろう喫煙所まではとても無理です。レベル1でリムルダールへ行くようなものです。つまり行って行けないことはないわけですが、リカントマムルに見つかったらおしまい的な感じです。
無理はせずに愛車ベニテングダケ1号を駆って喫煙所へ。これだけ大きい病院なのに、喫煙所が遠く隔離された1ヵ所しかないのは、昨今の健康増進ブームの賜物なのでしょうか。場所が場所だけに仕方ないのかもしれないけど、良い腕の運動になります。
隣にあるのがコンビニ。昼飯時は患者医者学生入り混じって大混雑。
午後にはmAttyが早速お見舞いに来てくださいました。後からLNGも来るそうです。彼女様もありがたいけど、友達ってのもやっぱりありがたい。
途中、晩飯を喰いに病室へ戻ります。お願いだからmAttyさん、クレイジータクシーのテーマを口ずさみながら車椅子を押すのはやめてください。
これが晩飯。朝飯にも満たない晩飯。毎日毎日こんなです。勘弁してください。
嘆いておりますと、mAttyは涙ながらに言いました。
あったかいだけマシだと思え
そして、私は己の罪に気がついたのです。これでも贅沢な食事だったんだと。彼は過去、交通事故で脚をひどく骨折し、半年も強制収容所にいたことのある入院食のベテランですから、俺に反論の余地などどこにもないのでした。俺が悪かったよ父ちゃん!
それから再び喫煙所へ出かけ至福のひと時を過ごしていると、LNGからメールが届きます。
着く少し前にメールする高速使って逝くわー
携帯からの送信ということで句読点とかは大目に見ますが、なんでこの人パソコン持ってないのに、ナチュラルに2ch語なんでしょう?
まぁ彼はパソコン持ってないし絵を描いてるわけでもなく、一見するとどこにでもいそうな車大好き会社員でありながら、一皮めくると俺とmAttyが束になっても敵わないディープなオタクなので、別に不思議ではないのですけど。
そんな彼を迎え、消灯時間(21時)を迎えるまで3人で延々とダベってました。皆オタクなので、とてもこういうとこで話す会話内容ではありませんでしたが、まぁよしとしましょう。
彼らを見送り病室へ戻ると、看護婦さんがお迎えしてくれました。なんと俺を探していたらしいです。やぁ、人気者ですねぇ…なんてわけもなく、家族のとこまで電話がいってしまってる事態に。5分遅れただけで脱走兵扱いですか。
21時までには必ず帰ってきてくださいね、とにこやかに諭す看護婦さんの目は、ちっとも笑っていませんでした。
そして今日も夜が更けます。どうして病院の夜ってこんなに早いのでしょう。良い子じゃあるまいし、21時に寝られるわけないじゃんよぅ。だもんでベッドの電気をつけて読書タイムになるわけですが、隣人の携帯メールの音がはっきり聞こえるくらいですから、ページをめくる音なんてのは大音量です。だから夜のおやつに選んだタマゴボーロも、噛まずに口の中で溶かさないといけません。
すべてのテリトリーがカーテン1枚で区切られる6人病室、息を潜めながら静かにページをめくりつつタマゴボーロをそっと取り出してむにょむにょ。しかも1時間おきに看守さんが覗きに来ます。幼い頃に一度入院したきりの俺にとって、刑務所暮らしというのがこんなに気疲れするものだとは思いませんでした。mAttyはこんなところに半年も収容されて、よく精神に異常をきたさなかったものだなぁと、今さら感心してしまいます。俺だったら発狂してしまうかも。
2004.10.3.Sun
9月28日からの続き物です。
いつも通り6時に起床。外は雨だけど、今日は彼女様が来るので朝からごきげんです。
検査を済ませ、今日も自力で便所に挑戦。当然まだまだ痛むわけですが、昨日よりは確実に良くなってます。頑張れば、どこにもつかまらず完全二足歩行もできます。
どうやら自分で思ってるより治りが早いようです。骨と違って、筋肉だから回復が早いのかもしれません。この分だと退院は近いかも?などと甘い考えのひとつも浮かぶってもんです。
粗末で贅沢な朝飯を終えたら、日課となりつつある喫煙ツアー。歩いて行こうかとも思いましたが、席が空いてないと困るのでベニテングダケ1号で行くことに…あれ、俺の愛車はどこいった? ドアのどこに駐車しておいたのに。レッカー移動されちまったのか?
仕方なく車椅子置き場から新しいのを接収してきます。行け!ベニテングダケ2号!
ぷかーっと至福のひと時を過ごしていると、向こうからGさん(親会社の偉い人)が歩いてくるではないですか。ゆうべのこともあって、喫煙所にいる旨の書き置きを残してあり、それを辿ってきたそうです。もう逃げも隠れもしたい気持ちでいっぱいでした。
いや、気まずいもんです。今回の事故では多くの人に絶大な迷惑をかけてしまいました。おまけに全国安全週間の真っ只中。あまつさえ今日は親睦バーベキューをやろう!という時の事故です。俺が搬送された後、バーベキュー大会は中止になり、現場は大騒ぎだったそうで。その上で糞忙しいのに遠くまでわざわざ見舞いに来ていただけるとは。
いや。もう。合わせる顔がないとはこのことです。すんません。すんません。
幸い、Gさんは優しい御人なので執拗な説教を頂戴するようなことはありませんでしたし、すでに2足歩行できるようになったと聞いて、喜ぶとともにたいそう驚いてました。たしかに、わずか6日でここまで回復するとは俺も思ってなかったけど。
Gさんを見送り、病室に戻ると、お見舞いの煙草がいっぱい置いてありました。素晴らしい人です。
15時になると彼女様がやっとの到着。雨の中、イベント直前の超忙しい時に多くの荷物を抱え、電車とバスを乗り継いでやってきた娘に向かって「遅い!」とか言ったら即絶縁されるだろうなーとか妄想しながら、さっきまでのごめんなさいムードもどこへやら。すっかりごきげんです。
今日はジャージとか靴とかデジカメとか持ってきてもらい、これで装備はばっちりです。薄着で外にいると結構寒いし、自力歩行のために靴も必要なのです。デジカメはついで。
普段はなかなか甘やかしてくれない彼女様も、こういう時はやっぱりダダ甘お姉ちゃんになってくださいます。これを利用しない手はありません。いえなんでもありません。別に淫らな妄想とかしてません。漫画じゃあるまいし、そんな度胸ありません。個室だったら別ですが。
原稿が切羽詰まってて当分来れないとのことなので、今のうちに甘えておくのです。
彼女様をバスターミナルまで送る時、なぜか従兄弟の姉ちゃんを思い出しました。姉ちゃんと言っても、母ちゃんの妹です。おもちゃとかいっぱい買ってくれたので大好きでした。
小学生の頃その姉ちゃんが遊びに来て、帰りに見送った時の、あの物哀しさ。二度と会えなくなるわけでもなかろうに、今生の別れみたいに感じる物哀しさ。その姉ちゃんとはそれ以来会ってませんが、あの時買ってもらったゲームウォッチ(たしかラッシュアワー)は、母ちゃんの方が夢中になっていました。
病室に戻った時、看護婦さんに尋ねました。退院はいつ頃になるのかと。
抜糸が終わってからですねー
抜糸はいつ頃になるのかと尋ねました。
んー、普通は2週間くらいですかねー。hrさんは12針も縫ったからもう少しかかるかもしれませんねー
それは、死刑宣告にも似たショックでした。俺は1週間以内に退院する気だったのに、明日の退院が絶望的です。それどころか、あと最低1週間はここにいなければならないのです。
あまりにも衝撃的でした。飢餓とニコチン中毒を越えた後にやってきたもの、パソコン依存症。テレビもネットもない、世間と隔絶されたここは、時間の流れない監獄と同等です。
「このままあと1週間も耐えられない」
そして俺は、とんでもないことを計画しだしたのです。
2004.10.4.Mon
9月28日からの続き物です。
今日で投獄生活1週間。欲を満たせば次の欲が出てくるのが人間。飢餓を越えニコチンを越えて出てきたパソコン依存症。独りで家にいる時は寝てるかパソコンやってるかの2択生活ですから、「あと1週間は監禁ねv」などと笑顔で言われた日には絶望の淵に立たされた気分になります。
ネットに関しては携帯でそれなりにできるし、iアプリ版nPOPを入れてるのでメールにも困るわけではないのですが、キーボードがそばにないと意味もなく不安になってしまうのです。
朝飯を終え、日課となった喫煙所ツアーには初めて歩いて行きます。痛みは昨日よりも格段に和らぎ、右脚だけで立つことさえ可能になりました。すごい回復速度です。そして確信しました。
これなら脱獄できる。
脱獄といっても、当然帰ってきます。バレたら大変なことになります。ジャージで電車に乗るのはちょっと変ですが、この際気にしません。
計画実行は昼飯過ぎ。自宅に帰ってからノートPCを連れ出し、晩飯(18時)までに戻ります。晩飯に間に合わなかったらアウトです。
昼飯が終わったら、いつものように煙草を吸いに行くふりをして、そのままバスターミナルへ。どきどきしますね。愛甲石田駅まで出て小田急線に乗り、町田へ。途中、弟から仕事の内容を問い合わせるメールが届いたりして、ちょっと驚きます。まさかこの返信が小田急線の中から送られてるなんて夢にも思わないことでしょう。(時効)
町田からはバスに乗れば、あともうすぐです。ここまではほとんど歩かないので楽勝ですが、ここからが正念場。バス停から自宅までの300mほどを歩ききらないといけません。距離的には病室から喫煙所までと同じくらいだから余裕です。…と思っていたのに、これが結構きつい。ここへ来るまでのダメージ蓄積が響いてるのです。びっこも隠せなくなり、嫌な汗も出てきますが、今さら引き返すことなどできません。
やっとの思いで自宅まで辿りつくと、そこはいつもの風景。1週間前から突然いなくなったご主人様が帰ってきて、雪子も喜んでいます。(気のせいです)
しかし、戯れている暇はありません。急いで三夫に必要なファイルを入れ、復路に着ていく服を用意します。やっぱジャージで電車に乗るのは恥ずかしい。
慌ただしく用意していると、突然の便意。3日前に失敗してから、初めてです。あれから普通に飯を喰っているし、中身もたっぷりあるはず。
それでもやっぱり便秘気味で苦戦しましたが、1週間ぶりのお通じに満足です。
水を流す時に思ったこと、それは「ガンメタリックのうんこなんて初めて見た」でした。さよなら。ジャー。
私服に着替えて用意ができたら出発です。手間取っていたら15時になってしまいました。急いで帰らないと。雪子をぽんぽんと2回叩き、ご主人様は再び修行の旅に出ます。玄関から振り返ると、雪子が寂しそうな顔をしていました。(気のせいです)
あと1週間も帰ってこれないなんて信じがたいです。
…というか、三夫はノートのくせになんでこんなに重いのでしょう。登山リュックをよいしょと持ち直し、バス停に向かいます。手ぶらで辿りつくのもやっとだったというのに、今度は10kgの重り付きです。欲張って音楽CDやら本やら色々詰めこんだのがいけなかったのでしょうか。
それでも歩けなくなるほどのダメージではなく、まだ少し余裕があります。お医者さんからも「できるだけ筋肉を動かすように」と言われてましたし、これもいいリハビリです。もちろん(無理のない範囲で)という暗黙の了解が省略されているわけですが、そんなこと気にしません。
町田に到着したら、音楽を聴くためのヘッドフォンを購入するべくヨドバシへ寄ります。入院前に修理に出してたマウスを引き取りに行かないといけないのですが、もうちょっと預かっててもらうことにします。
時間もないし、とりあえず2000円の安物ヘッドフォンを購入しました。
病院に着いた時にはすでに17時。誰にもバレてないようだし作戦成功!と思いきや、そこにはmAttyが。なんでも2時間くらい前から来ていたそうです。当然、検査かなんかに行ってたと思うでしょうが、ごめんなさい。脱獄してました。
まぁmAttyだったからよかったようなものの、これが会社の人だったりしたらジ・エーンド。危ない危ない。(時効)
ジャージに着替え、晩飯を喰ったらすぐさま go to 喫煙所。なんかベッドにいる時間の方が少ないような気がしてきます。自宅まで行けるくらいですから、ベニテングダケ2号に乗ることもなく、車椅子生活も卒業です。
21時にmAttyを見送ってベッドに戻ったら、早速三夫を起動します。今夜の俺は自由だ!…と思いきや、計算外の事実が発覚。
こいつ、こんなにうるさかったっけ?
考えてみれば、ページをめくるのも気を遣う静寂において、ノートPCなんか使えるわけないじゃないですか。三夫はずいぶん旧い型のノートで音的にはかなり静かなのに、Pen4を積んだデスクトップ機のごとき騒音。とてもじゃないけど使えたもんじゃありません。
仕方ないので泣く泣く三夫をシャットダウンし、おとなしく読書することに。なんのために危険を冒してまで…。
2004.10.5.Tue
9月28日からの続き物です。
朝ごはんを終えて一服したら、音楽を聴きつつ入院日記を書き始めます。ゆうべは三夫が使えず寂しい想いをしましたが、日中なら気にしなくても大丈夫です。
あぁ〜やっぱパソコンに触ってると安心しますね〜。
2時間くらい経ったでしょうか、巡回のお医者さんがガーゼの交換にやってきました。
「どうだい、調子は?」
「ええ。だいぶ歩けるようになったので、昨日抜け出してノートPC取りに行ってきました」
「うん、傷口も綺麗だしね。あとはリハビリをちゃんとやれば、普通に歩けるようになるよ」
「そうですか、ありがとうございます」
「じゃあもう退院しても大丈夫だね、明日でいい?」
「はい?」
一部脳内発言が混じってますが、またも寝耳に水。
だって、だって、一昨日に「抜糸が終わってから」って言ったじゃんか。だから俺は無理を承知で脱獄までしてノートPC取りに行ったのよ? これでやっと環境も整備されたし、のんびり入院生活を楽しもうと思ってた矢先なのよ? そんなのってないじゃん! そんなのって、そんなのって…。
ともあれ、退院というのは大歓迎です。もう自宅療養で充分なくらいには回復してるし、こんなとことは一日も早くオサラバしたいです。なんなら今日でもいいくらいです。
夕方、看護婦さんが向かいのお爺さんになにやら説明してます。耳を傾けてみると、整形外科病棟はもうベッドがいっぱいだから他の病棟へ移動しますよ、と言ってました。トイレのついでに、部屋の入り口にある名札を見てまわると、たしかに空きがひとつもない。
そういうことね。
合点のいった俺は、帰り支度を始めます。退院予告メールを送り散らかしたところ、LNGが最後の見舞いに来てくれることになりました。
荷物をまとめてて、その多さにとまどいます。彼女様に2回持ってきてもらい、自分でも登山リュックいっぱい持ってきました。病院で買ったものもあります。漫画の単行本は捨てるにはもったいないです。
自分で持って帰るにはちょっと多すぎるってことで、車でやってくるLNGに一部を持って帰ってもらい、それをmAttyに預け、さらに持ってきてもらうという作戦を立案しました。
というのも、今は仕事が大変忙しく、俺を迎えに来る人がいないのです。自分のせいで多忙に拍車をかけてしまったわけですから、仕方のないことです。なにより、一度自力で帰った実績があります。
ありがとうマイフレンズ。
そして、ここで過ごす最後の夜は更けていきます。看守さんが毎晩遅くまで起きてる俺に見かねて23時に強制消灯させられてしまいました。仕方ないじゃないですか。俺はいつも6時間以上寝ない人なんですから。23時なんて宵の口に寝ろとか言われたって困るのです。
で、布団に潜って携帯メールやったり携帯ゲームやったり携帯ネットやったりしてました。携帯って素晴らしい。(GBAはバックライトのないやつなのでできない)
2004.10.6.Wed
9月28日からの続き物です。
最後の夜が明けました。すっかり恒例となった喫煙所入り浸りも、これが最後です。そう思うとなんだか寂しいものですが、それは明らかに気の迷いなので知らんぶりです。
荷物もまとめ終わったし、看護婦さんに挨拶もしたし、昼飯を待たずして病院を後にします。これで俺は晴れて自由の身だ!
病院の入口に立ち、振り返ります。大きな建物が立ち並ぶこの監獄で、9日間の修行生活を過ごしました。今までの人生で一番長い9日間かもしれません。1ヵ月にも2ヵ月にも感じます。
ヘリで運ばれてきた失血死寸前の救急患者は、かろうじて一命を取りとめた後、すごい速さで回復していきました。1週間前は立つこともできなかったのに、今こうして自分で歩いて退院していきます。ありがとうお医者さん。ありがとう救急ヘリ。俺の命を救ってくれてありがとう。現代医学万歳。
まぁ抜糸が終わるまでは近所の病院に通わないといけないし、リハビリはまだまだ続くけど、好きな時に飯を喰えて好きな時に寝られて好きな時に煙草を吸えるというのは、素晴らしいことです。
帰りに、町田駅でカツカレーを喰いました。
ぶっはー!生きてるって最高!
レトルトにも劣る陳腐なカレーがなんでこんなに美味いのでしょう。彼女様の手作りカレーの次くらいに美味いです。
感激のあまり目頭を熱くしていたら、店の主人が不思議そうな顔してました。あなたには普通の人に見えるんでしょうが、私は今、退院の途中なのです。脚には12本の縫い糸が埋めこまれてるんです。娑婆の飯なんて10日ぶりだから、こんな糞まずいカレーも美味く感じるんです。そこんとこわかってたもれ。
店を出た後、ヨドバシに寄ります。入院前に修理に出してたマウスを引き取り、なにを考えたのか新しいPCデスクを買ってしまいました。いや、ちょうど買おうと思ってた時に病院送りされたものですから。だからってなにも退院帰りに買わんでもいいような気もしますが、そういう定規を俺は持ってないのです。
脱獄した日からさらに回復したようで、さすがにへっちゃらというほどではないものの、バス停から自宅への300mもあまり苦労しませんでした。
そして自宅に到着。たった2日前に帰ってきた時は、まさかこんなに早く戻れるとは思ってませんでした。雪子も満面の笑みでご主人様の帰りを祝福してくれます。(気のせいです)
久しぶりの電源ON、見慣れたデスクトップ。久しぶりの愛撫に雪子も大喜びです。(気のせいです)
しばらくは仕事もできないし、よーし今夜は寝かさないぞー的にエロオヤジ全開になるってものです。
…しかし、一気に気が緩んだせいか、ほどなくして寝てしまいました。つけっぱなしの雪子に添い寝してもらいつつ。(くどいですが気のせいです)
こうして、俺の初めての三途の川ツアーは終わりを告げたのでした。今夜は良い夢が見られそうです。(なんの夢も見ませんでした)
2004.10.7.Thu
今日から通院生活です。家のすぐ近くに中規模の病院があるので、歩いて行けます。
紹介状を書いてくれた先生は、なんでもこの病院に勤めてたことがあるらしく、世界の狭さに驚いたものです。
採血してガーゼを交換して、抜糸が来週の水曜に決まります。見た目はかなり痛々しいのですが、傷口としては綺麗らしいです。
そして検査の結果を待つこと数十分。
血の濃さを表す数値が異常に低いと言われました。貧血状態の女の人より低いとかいって。失血死寸前まで垂れ流すと1週間やそこらでは回復しないということですか。
とりあえず増血剤を飲み続けて、抜糸の時に再検査という運びに。
7200円のお会計になります。
労災がまだ下りてないので全額自腹。泣くしかございません。
2004.10.9.Sat
2004.10.13.Wed
今日は待ちに待った抜糸の日。2週間埋まり続けた12ヵ所の縫い糸が、ようやくなくなる日です。
思えば、縫ったのは4年くらい前に薬指をカッターでかっさばいだ時以来です。肉が薄いから骨まで見えちゃう的に。そのうち止まるだろうと思って放っといたら全然止まらなくて、それでも1週間そのままで、あきらめて病院行ってひどく怒られながら縫ってもらった憶えがあります。あの時は3針だったっけか。
肉の中を糸が滑る感覚は、久しく懐かしかったです。これだけは慣れそうにもありません。
ともあれ、明日からついに風呂解禁となるわけで、半月ぶりのお風呂が今から楽しみです。
それと、前回ひどい結果だった血液検査ですが、だいぶ回復してはいるものの、まだまだ貧血だそうで。
昨日、近所のスーパーまで行ったら異常なほど疲れたんですよ。それも肉体疲労でなく、スタミナ切れなんです。夏バテによく似た感じですが、立つのもしんどいくらい。たかが500mを往復しただけでこの有様ですから、仕事復帰はまだまだ先のようです。
まぁそれでも少しずつ回復してるようなので、しばらく様子を見つつ、異常がない限りもう来なくていいことになりました。それはつまり、これで完全自由の身になったことを意味します。やった!
9360円のお会計になります。
またも全額自腹。泣くしかございません。本当に後で返ってくるんだろうなー?
退院の時に聞いた話では毎日通院するはずだったのだが、結局2回しか行かなかった。まぁいいか。
2004.10.14.Thu
2004.10.21.Thu
最初に買うと言ってから何年経ったでしょうか、彼女様がやっと携帯を新しくしてくれました。
「かわいくない」「使えなさそう」「色が気に入らない」「なんとなく嫌」
そうやって何年もしぶとく粘ってたので、白黒液晶4行表示のフリップ式というTU-KAのプリペイド携帯からvodafoneのV601Tという、トカゲがドラゴンに進化したような跳躍になりました。
一応Eメールくらいはできたものの、64文字まで(これにはメールアドレスの文字数も含まれる!)という華奢仕様であり、DoCoMo P505iSユーザーの俺は、受信文字数制限を超えないように注意しながらメールしないといけなかったのです。その忌まわしい制限が解かれたからこそ、「してくれました」なわけです。
V601TはCMが流れてるとこを見ると最新機種のようですが、vodafoneショップで新規なら無料というキャンペーンをやっていて、それが彼女様を突き動かしたようです。DoCoMoでは考えられないサービス。
彼女様はくーまんを見て、「こいつキモいよねー」とにこにこしています。
なにがそんなにいいのか男の子にはわかりませんが、俺としてはメールの文字数制限がなくなったので万歳です。
彼女様を見送ったら、俺は労災申請の用紙をもらいに厚木労働基準監督署というとこに行きます。
ところが、ネットでちゃんと調べたのに、それらしい建物が見つかりません。
すごそうな名前の印象からか、疑いもなく10階建てくらいのでかいビルだと信じこんでいて、「あれー?この辺のはずなんだけどなー?」と建物の周囲をうろうろし、果ては入口の前で通行人に場所を尋ねる恥知らず。涙出てきました。
2004.10.29.Fri
2004.10.31.Sun
我々悪魔四天王(俺・mAtty・U+Donkoさん・さかなみ)は、月に1回降臨して2泊3日くらいの酒池肉林を開催している。
いつもは金森基地(mAtty宅)で執り行われるのだけど、俺が(怪我で)外に出られない+mAttyが仕事の折り合いがつかないということで、今回は初めて小川基地(我が家)で開催することに。金森基地に比べて無駄に広いので、大の男が4人マグロになっても余裕だ。折り畳んで死屍累々とならなくてもいい。
夕方、U+Donkoさんが先行でやってくる。4人の中でただ一人、小川基地へ入るのが初めての男だ。どういう反応をするか密かに楽しみにしてけど、ちょっと驚きすぎ。広さ、綺麗さ、そしてあまりの飾り気のなさ、色々なことに驚いていたようだ。(綺麗なのは昨日掃除したからだ)
その後、少し遅れてmAttyが着弾。買い出しに行ってお食事を作り始める。このお食事というのも「男料理」と称して毎回趣向を凝らしているのだけど、今回は慣れない環境での開催なので無難に鍋に決定。
ただ、普通の人より幾分か野性的な我々は、肉が大好きである。
ということで、豚肉・牛肉・猪肉・羊肉・鴨肉の肉満載鍋になった。
優雅なお食事の後は可憐なスイーツデザートを召し上がれ。
ちゅるちゅるとね。
夜が更け、mAttyは夜勤へと旅立つ。U+Donkoさんは長旅の疲れとアルコールの相乗効果で大爆睡。俺もほどよく眠いことだし、今夜はおとなしく寝ることにした。
明日に続く。