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単なる雑記帳。口調とか(人格とか)色々化けますが、
もともとその時々によって変わる奴なのでご心配なく。
どれもこれもが混じりっ気なしの泡100%であります。
つまり中身なし。
2004.9.12.Sun
今使ってる眼鏡、ちょうど実家を出た時だから、もう2年ちょっと使ってる計算になります。ヘルメットを被ったり眼鏡つけたまま寝たり、とにかく扱いが荒いので、奮発して形状記憶合金のやつにしたんですが、蝶番のところは普通の金属なんですねぇ。
少し前から怪しい感じはしてたんですが、フレームの曲がりを矯正しようとしたらもげてしまいました。
前の眼鏡がもげた時は、別の眼鏡のフレームと合成して使ってたものの、鼻のところが眼鏡ずれ(?)みたいになってひどかったので、今回はもっと頭の良い方法を使うことにします。
単純に瞬間接着剤ではくっつかないので、糸で巻いて接着剤を染みこませるように接着。 →接着部分の拡大
うむ。ばっちりだ! ツルが閉じなくなったけど、まぁそんなの全然気にしない。見えりゃいいのです。
ていうか、やっぱり新しく買おうという気はないんですね。
2004.9.28.Tue
痛い話が嫌いな人は読まないことをおすすめします。
「大怪我をして入院することになった」と解釈して次へどうぞ。
丸ノコです。分厚い木材も紙みたいに切っちゃうノコギリです。指なんか一瞬で飛ばします。
仕事中、これでボイドを切ってたんですよ。地下室にある休憩所の椅子に座って。普通、こんな体勢で丸ノコを使うなんて絶対ダメなんですが、仕事が詰まってたこともあって油断してたんでしょう。
刃が噛んだ反動で丸ノコが弾かれ、右脚の付け根んとこに接触、次の瞬間には血の海です。20cmくらいバックリと。動脈からぴゅるぴゅる出てくるわけです。出ちゃいけないものが。
一瞬のことで痛みを感じる暇もなく、でもわりと冷静で、あぁこれはちょっと救急車呼ばないとまずいなーと判断し、とりあえず近くにいた人に助けを求めたわけですが、これは大変だ!とばかりに監督を呼びに行ってしまいました。
いや、監督は後でいいから、とりあえず先に救急車…。(切実)
自分で呼ぼうと思ったものの、運悪く携帯を休憩所に置いてきてしまい、止血のために押さえてないといけない。まぁ救急車はそのうちくるだろうし、ここからでは搬送も大変だろうと考え、血を吹きながら自力で1階まで。そこで倒れこんだら、あとは失血死と救急車、どっちが早いか競争するのみ。
たまたまなんですが、昨日見たテレビ番組で長崎バスジャック事件の特番をやってて、その被害者の方が「傷口を心臓より高く上げていたおかげで一命を取り留めた」と言ってたのを思い出し、壁に脚を預けて真似するわけです。でも傷口がもう脚の付け根なので大変なのです。
他の人に協力してもらいつつ、救急車を待ってる時間の長いこと。それにしても本当によく出てくる。後から聞いた話、動脈3本切ってたそうですが、一番太い大腿動脈が無事だったからこの程度ですんだそうです。死まであと5mmの距離で立ち止まってました。
それでもこの時は力も入らなくなってきて、他の人に止血してもらいつつ、リアルに遠くなっていく意識をつなぎ止めるだけで精一杯。かなり本気で死を覚悟しておりました。
気分はブラックホークダウンのスミスです。
救急車が到着した頃にはすでに(あの世への)出発準備も整いつつあり、救急隊員の慌てぶりを意識の遠くで聞いてました。すぐ近くに大きな病院があるのに、いっぱいで入れないこととか。このままでは間に合わないから救急ヘリを要請することとか。ヘリを呼ぶのに3000円かかるとか。
そして救急車で近くのスタジアムまで運ばれていく俺。幸い、スミスの時と違って戦場ではないので、ヘリはすぐに到着したし、撃墜されることもありませんでした。
ヘリの中で「人間、死ぬ時ってのは皆こんな感じなのかなぁ…」とか考えつつ、不思議と落ち着いてました。助かるかもしれないという安心感、少しずつ堕ちていく意識の恐怖感、まったく動かなくなった右脚、脇目に見える血圧計の漸減していく数値、初めて乗ったヘリで外を見てみたいという衝動(結構余裕じゃん)、色々感じながら、なんだか猛烈に眠くなってくる感覚。
いいや、もう寝ちゃえーとか思うと身体が楽になっていって、その次に救急のお兄さんに起こされて、あぁもしかして今死にかけた?とかいうのを何回か繰り返し、このまま死んでしまったら彼女様に申し訳が立たないし、9年前に先立った前の彼女様にも合わせる顔がない。
ていうか、家には未処分の秘蔵お宝が。
息を吹き返した俺は無事、遠く離れた東海大学病院へと生きたまま到着できました。
手術台に運ばれ、素っ裸にされ、薬や止血の関係でそのまま20分くらい放置プレイ。なんというか、傷とか別にしてナチュラルに寒いんですけど。そう訴えますと、看護婦さんが毛布をかけてくださいました。
それでから麻酔して手術開始。なにをやってるのかは見えませんでしたが、ていうか見る余裕もないくらいの素敵な激痛でショック死しちまうかと思いました。本当に麻酔したんですかーっ
今までバイクの事故で何度も大怪我を負ってきた俺だけど、味わったことのない種類の激痛にメロメロ。でも気を抜いて迂闊なことした罰だと思って頑張って耐えました。
手術室から運び出された俺は、すっかり焦燥しきっておりました。でも、これで一命を取り留めたかと思うと、じんわりと命のありがたみってやつを感じます。よく助かったなぁ、と。
病室へ運ばれる途中、医者のお兄さんが
どれかひとつでも欠けてたら死んでたよ、とにこやかに教えてくれました。笑顔で言うことじゃないような。普段は運が悪いくせ、ここぞという時の運だけはやたらと強い、そんな自分を再確認。
おにいさんはにこやかに、搬送用ベッドの高さを合わせるロックをかけ忘れたまま、俺を移そうとしたのでした。20cmくらいの落差も、縫いたてほやほやの俺には大ダメージです。10秒くらい声も出ませんでした。
それでもお兄さんは笑いながらゴメンゴメンと言うのでした。この人、間違えて塩酸を注射してもこんなんなのだろうな…。
ともあれ、そのまま帰ろうなどできるわけもなく、しばらく入院することに。小学2年の時、教室のドアに頭を強打して以来の入院です。あの時は特に異常もなく1週間くらいで退院できたけど、今回はどれくらいになるんでしょう。やっぱ抜糸が終わるまで?
まったく動かなくなってた右脚も、単に止血されてたからで、指も動くし感覚も少しずつ戻ってきました。ただ、傷口から膝にかけての部分は、ピリピリという単位でしか情報を伝えてきません。触っても抓っても、ピリピリの強弱でしか知覚できない。そりゃまぁ内股の主要神経のほとんどが切断された以上、正常に機能するわけもなく、膝から下が動くだけでも感謝しないといけないんでしょう。
病室でガーゼを替える時、負傷して以来の傷口とのご対面。12針です。それよりも、考えてなかったけど玉袋まで10cmくらい。ほんの少し方向がずれてれば竿がどうにかなってた距離です。なんという恐怖…。
運良く切断を免れた大事な息子は、変なチューブを挿されてぐったりしておりました。最初はそれがなにかわからなかったんですが、じきに小便吸い取りチューブであることがわかりました。便利なもんがあるんですね。
ほどなくして、弟が到着。一緒に仕事しており、俺の上司でもあり、電話で呼ばれ血の海に横たわる兄貴を見た時は、遺産とか葬式とか脳裏をよぎったんじゃないかと思います。ご安心ください。生きております。面倒やら心配やらかけて申し訳ございません。
携帯を現場へ置いてきてしまったので、彼女様への連絡をお願いし、暇つぶしのPC雑誌を買ってきてもらい、彼は早々と帰っていきました。
同僚が退職してから1ヵ月後、ただでさえ人手不足なのに、今度は兄貴がリタイア。翌日には、バイトのフィリピンおじさんまでも入場禁止を食らい、一人になってしまうのです。こんなとこでゆっくりしている暇はないのです。いや本当、重ね重ね申し訳ない話です。
しかし今は怪我を治すのが先決。休んでる暇はなくとも休まねばなりません。そういえばおなかが空きました。怪我したのがちょうど昼飯前だったので、落ち着いた途端ひどい空腹感に襲われます。看護婦さんに飯のことを聞いてみますと、
今は出血で内臓が弱ってるからねー、今日はご飯ないのよ。
意識はしっかりしていても、失血死寸前までいった身分です。あっさりと飯抜き宣告を下されました。くうねるやるの不足をなにより嫌う俺には耐え難い拷問です。腕から飯を飲む趣味はございませんよ、私。
しかし、ここでは医者が法です。大統領でさえも従わねばならない治外法権です。平民の飢餓など気にもとめちゃくれません。枕を濡らし、小便を漏らしながら空腹感に耐えねばならぬのです。なんと情けない格好でございましょう。
でも後から思うに、そのおかげで「死の恐怖」ってやつをあまり実感せずに夜を越せたのだと思います。
長い長い一日が終わります。でも、本当に長い長い一日はここから始まるのでした。
明日に続く。
2004.9.29.Wed
9月28日からの続き物です。
朝。夜通し待ち望んだご飯が出てきました。なんというか、これ離乳食?と思わずにはいられませんでしたが、胃に入れられるものならなんでもOK牧場です。当然足りるわけないですが、おかわりなぞ許されるはずもないです。服役囚にでもなった気分です。
脱獄して食料を調達しに行きたいところですが、歩くのはおろか立つことさえかなわない状態ですし、小便チューブをぶら下げていくわけにもいかず、昨日買ってきてもらったPC雑誌を噛みながら飢えに苦しむのでした。
だけど、問題は空腹だけじゃありません。ニコチンです。昨日は煙草どころじゃなかったけど、落ち着いてしまえば中毒症状が出てきます。ご飯は喰わなくても死にませんが、煙草は吸わないと死んでしまいます。それがニコチン中毒。でもそれを満たせる希望はどこにもなく、昨日買ってきてもらったPC雑誌を噛みながら中毒症状に苦しむのでした。
ところで、彼女様に連絡は届いたのでしょうか。携帯もないし、公衆電話にも行けません。身の周りの世話をしてくれるのは彼女様しかいない現状ですから、なんとかして連絡を取らねばいけないのに、どうにもなりません。明日は救急病棟から一般病棟へ移れるらしいので、その時に賭けることにして、今日は雑誌を噛み噛みしながら過ごすことに。
あぁ…腹減った…ニコチンゲージが…。
外はひどい天気だったけど、テレビもなにもなかったので台風21号が上陸していたとは知りませんでした。
2004.9.30.Thu
9月28日からの続き物です。
ベッドごと一般病棟へ移る時、ついでに彼女様へ電話させてもらいます。まさか再びテレホンカードを買うことがあるなんて。
彼女様の携帯番号を憶えてなくて焦りましたが、実家の番号を憶えてたので、妹さんに教えてもらって無事つながりました。なんでも、今向かってる最中だそうです。あぁ、持つべきものは彼女様。ビバ彼女様。ついでに家にも寄ってくれるらしいので、必要なものを伝えます。
これで一安心。あとは雑誌を噛み噛みしながら待つのみです。
………。
……。
…。
ここで流れる時間はとても緩やかです。PC雑誌も読み尽くしてしまったし噛み尽くしてしまいました。
ただぼうっと寝て、見知らぬ天井を見上げてるだけの生活。ふと、冥々なる人間を思い出します。これが一生続くなんて宣告されたら、きっと誰もが生きていく意志を失うんだろうな、と。
試しに立とうとしてみると、右脚全体が灼けるように痛くて、とても無理でした。座るまではいいのですが、少しでも力が加わると熱湯が血管を流れるような激痛に襲われます。
もう二度と歩けないかもしれない。指をぴこぴこ動かしながら、まぁ神経は無事みたいだし、切断された筋肉が修復されればいいわけだから、その可能性は低いだろう…とか思うものの、今はまだ多くが未知数です。
15時頃になってようやく彼女様が到着する頃には、すっかり待ちくたびれてフテ寝してました。我が家を経由してきたので時間がかかるのは仕方のないことですが、健常な人とは時間の流れが違うのです。2日くらい待った気分です。
こんな見知らぬ場所に独りぼっちで寝てると、人恋しさもMAXです。彼女様宅の飼い猫の名もマックスです。彼女様はまさしく天使であり、ぺたぺた触っては頭に輪っかが乗ってないことを確認するのです。彼女様に感謝し、彼女様がいるという事実に感謝します。俺の周囲でこのような身分に与っていられるのはたった1人しかいない状況ですから、本来なら俺も間違いなく独り身でなければならないはずなのです。それくらい女っ気のない人生なのに、どういうわけか俺の心配をし、俺の世話を引き受けてくれる娘がいるというのは、奇跡と呼ぶに相応しい。
19時。面会終了です。束縛を解かれた時の流れのなんと速いこと。彼女様が視界から消えた途端に絡みつく鎖みたいな。
それでも、やっと携帯が届きました。さらにはGBAまで持ってきてくれました。これでヒマヒマ地獄から脱出できることでしょう。
そうだ! おもいだしたぞ! ぼくの なまえは あかしや あゆむ だ!
さあ! いよいよ ほんかくてきな そうさの かいし です!
(ファミコン探偵倶楽部をやっている)