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単なる雑記帳。口調とか(人格とか)色々化けますが、
もともとその時々によって変わる奴なのでご心配なく。
どれもこれもが混じりっ気なしの泡100%であります。
つまり中身なし。
2001.12.15.Sat
俺は俺である。
正しい意味での自意識を常に保とうとするのは、大事なことだけどなかなかに難しい。
「俺が俺である」ということは「他人から不当に侵害されない」ことであり、それが成立するには「他人を不当に侵害しないこと」が根本に必要とされる。つまり、社会、他人に迷惑を与えない範囲においてしか認められないのだ。
それでも俺は、我を通すためにしばしば他人に迷惑をかける。
結局、自分の自由を求めるあまりに、自由が成り立つ条件を無視しているだけなのかもしれない。
逆に言えば、迷惑さえかからなければ好きにやっていいということになるのだけど。
2001.12.19.Wed
冥々なる人間 可山優零著 川島書店 2400円
誰でも「もし体が動かなくなったら」なんてこと、一度は考えるじゃないですか。試しにいつまで耐えられるかって実験をしたこともあるじゃないですか。
この本は、交通事故で四肢麻痺になってしまった人が、口述筆記で書いたものです。
率直な疑問の数々。首から下がまったく動かない世界では、身体にどういう変化が起きるんだろう。どれほどの苦労を強いられるんだろう。病院や施設の対応は? 社会的な地位は? 助力なしでは生きることさえできない自分の存在意義って?
そんなことを、それはもう明確に具体的にはっきりと嫌と言うほど心が痛くなるほど、疑似体験させてくれます。そう、五体満足であることがどんなに幸せなことか。
ちょっと哲学入ってる部分もあって読みやすい本ではないのですが、書庫に一冊、どうでしょう。多少の怪我では動じなくなりますぞ。
ちなみに実験はいつも1時間以内に挫折します。やっぱ「できない」と「しない」の差は埋めようがない。
2001.12.20.Thu
絵の世界の根源にあって、「間違い」などというものは決してない。
たとえどれだけ変であっても不自然であっても、そこに枠を作ることは誰にもできない。
枠は他人の目を意識した時に、初めてできるものだ。
わかっちゃいるんだけどね。
2001.12.21.Fri
サターンが壊れちゃったので、新しいのを1500円で買ってきました。ええ時代や。
初期型からセガタサーン白になって、気分も真っ白。
役目は(もちろん)CDの演奏。なんちゃってサラウンドと充実した使い勝手は、プレステなんぞ遠く及びません。
2001.12.22.Sat
水を飲むのです。家にいる間はコーヒーを愛飲するんですが、かぱかぱ飲んでると口ん中が変になるのよね。
で、そうなった時にコップ半分くらいの水を飲むと、口ん中がクリアになることを発見したわけです。これでノーベル賞はワシのもんじゃー!
でも水出しの麦茶じゃだめみたいなので、土瓶でお湯を沸かしてから冷やしてます。土瓶を使うのは、テレビでアルミのヤカンよりよろしいとか言ってたのを真に受けたため。
まぁ水の味なんて「水道水はまずい」くらいしかわかんないんだけどね。
それが癖ついちゃって、今はなんでもない時でも水飲み小僧です。ぷはぁ。
2001.12.23.Sun
その辺の同人戦士に「なんで物書きやってるの?」って聞くと「絵が描けないから」って答える人が、いっぱいいる。おそらく周囲にあてはまるのが一人くらいいるだろうし、俺の過去の知り合いにもちらほら存在した。
もちろん、表現の方法に手段以外のものはないから、そんな人が物書きするのも有りだ。
ただ、「絵が描けないから」ってのはなんだろう? 「本当は絵が描きたいけど、そんな根性はないから楽にできる文字書きにしよう」ってことだろうか。
「(絵が描けないから)文章を極めよう」ってのは、ずいぶんと失礼な話である。
たしかに同じ内容を表現するなら、小説とかの方が圧倒的に楽だ。それは事実だ。けど、俺はそんな動機で書いたことなんて一度たりとてないし、これから先も絶対にありえない。文章には文章の魅力と奥深さがあって、絵や漫画には真似できないことがあるから、それを追い求めて書いているんだ。たぶん。
そんな俺は、「(漫画が描けないから)編集になった」という輩も嫌いである。
これを見てる人がもし今なにか書き始めようとしているのなら、決してそんな(絵描きにも、物書きにも)失礼な理由で続けてほしくないものだ。動機は不純でもなんでもいいから、続けていく理由は「書くのが楽しいから」を据えていてほしいでござる。
2001.12.27.Thu
このままじゃ先は長くない。
そう考え、「絵」と一定の距離を保つようになって、もうだいぶ経つ。その隙につけこむ形で「パソコン」が入り、これも人生などと悠長なことを言っていたら、どんどん距離が離れてしまった。もはや必要なものしか描かなくなり、らくがきは皆無に近い現状である。だからScribble Gardenは一枚も増えない。
「俺には絵しかないから、人生のすべてをこれに賭ける」って言うと、いかにも格好よく見える。
しかし、自分がもっている「その他の可能性」も全部まとめて切り捨ててしまうのは、果たして得策なのか。離れてみないと見えない側面なぞありえない、そう思う人って、果たして存在するのか。
こんな台詞を本当に吐く人に出くわしたら、ぜひ「なんで絵しかないってわかるの?」とか「どうして絵なの?」とか「絵だけ描いていれば、すべてを見渡せるって確信はあるの?」とか、聞いてみたいものだ。
絵しか描かない人が絵のことを一番よく知ってるってのは、思い上がりもいいとこだよね。
絵との関係が疎遠になっていく過程で、今まで見えなかったものが見えた。
そのご苦労なまでの面倒くささ、消費する精神力と時間の多さ、気が遠くなるほどの行程、副産物として「プログラム」への思わぬ適性という拾いものもあった。
そして、出来あがったものの尊さ。
どれもこれも、がむしゃらに絵を描いていたあの頃からは、想像もしてないことばかりだった。
今なら、あの頃とは違う絵が描けるかもしれない。そんな感覚が芽生えてきたこの頃である。
2001.12.30.Sun
今日は冬の漫画祭り。あいにく忙しくて行けなかった。残念…でもないところが、時代の流れというものを感じさせる。
初めて行ったコミックマーケットは、1994年の冬。まだ晴海でやってた頃、友達に連れられて、会場に着くなり放り出されて、あてどもなく彷徨ってた。それでも未知の世界に興奮して、閉場するまでがむしゃらに歩きまわって、何万円も使ってた。
じきに会場は有明へ移り、回数を重ねるごとに経験を身につけ、うまく立ち回れるようにもなった。おっきなカバンを背負って、朝一番の電車に乗って、がたごと揺られて、入念にチェックされたマップを手に、新しい出逢いに心を躍らせていた。
1997年夏、肩書きが「一般参加者」から「サークル参加者」になった。実はそれまで何度も申しこんでたのだけど、ことごとく落とされていた。それなのに、この参加以降、7回連続当選という非常事態が続くことになる。
そこには、一般参加に存在しない出逢いがあった。感想の手紙をもらった。スケッチブックを描いてくれと頼まれた。差し入れを色々いただいた。「頑張ってくださいね」と、暖かい言葉をかけてもらった。それに応えようとして、無理して、どんどん泥沼に落ちていった。
2000年冬、白い宛名ラベルを機に、すべてが崩れ去った。siteCTSへの来訪者の中で、かつての「トライスクエア」を知る者は、一人もいない。すべて俺が封じこめてしまったから。
2001年冬、来たる2002年へ向けて、作家としての俺は、なにをしたらいいだろう。一度もイベントへ足を運ばなかった2001年を顧みて、俺はなにを考えたらいいだろう。
ちなみに俺の場合、有明へは浜松町から直通バスで行くと、安くて早い。
明後日はお正月、同時に俺の誕生日でもある。
なんかください。