Scrawl  Notes
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  This page is a mere carefree scrawl notes.
 Of course renewal is carefree and suitable, too.
 Push a left title to go to the "Pacho struggle notes".
Though it is a digression, I like Japanese food such as an umeboshi, 
natto and the pickles very much. 
Is there a person who translates this English writing specially? 




 さて。ページフォーマットがまだできてないけど、今日からScrawl Notesを書き始めることにしよう。早く書きたくてたまらんのだ。
 このページは、俺のとっても大好きな雑記のページ。話をまとめる必要もない、わざわざオチをつける必要もない、お気楽が極楽なページ。
 もういくらでもどれだけでも書けるけど、あんま一人で暴走してるとパチョ奮闘記の二の舞になるので、ちこっとはエンタテエメントなことも考えよう。人に優しく!優しくね!これ大事!目指そう人に優しいサイト作り!(気に入ってるねアナタ)
 あぁいかん。今日はなにかひとつ嘘をつかないといけない日なのだ。うむ。
 siteCTS本日堂々オープン!充実したコンテンツで貴方の余暇を楽しいひとときにします!どうぞ気軽にお立ち寄りください!
 これでよし。
 我が家には食器洗い機なる文明の利器がある。たくましい水流で汚れを吹き飛ばしてくれる画期的文明の利器だ。科学は欲望と堕落を糧として進化していくのである。「食器洗い機」はその象徴的存在だとは思うまいか。
 本日2130時、たまには俺が洗ってやろうと親孝行な考えをもよおし、食器をセットして洗剤を入れた。
 しかし終わった頃合いを見計らって取り出すと、汚れがちっとも落ちてない。実はこいつを全然使ったことがないのだけど、やはりこの手のものは信用できないのだ。これなら手で洗った方がよっぽどましである。なにが科学だ。生命の理、神の領域にまで踏みこむ現代の科学力はこの程度なのか。皿のひとつも満足に洗えんでなにがDNAだ。なにがクローンだ。まったく。

 話は変わるが、PentiumW搭載のパソコンは紛れもない高性能だ。DOHC32バルブの楕円ピストンを採用したエンジンは間違いなく高性能だ。
 だが、彼らはスイッチを入れるなりエンジンをかけるなりしなければ、その真価を発揮することはできない。同様に、食器洗い機といえども相応の事前儀式が必要だ。洗剤を入れて蓋を閉めるだけではいけないのである。
 今日も空は青かった。海は果てしなく広かった。現代科学はやっぱり強かった。文明の利器万歳。
 冷蔵庫に入ってたからなんとなく喰ってたそれが、実は梨ではなく青りんごだということを、半分ほど食したところで気がついた。
 春はもう目の前だ。
 ボバン!
 時々そんな声でワイルドに叫ぶ、我が家の風呂釜。3面記事の端っこに「給湯器爆発で1人死亡」の見出しが載る日は近い。
 大抵のことでは動じない僕であるけれど、それと危機感がないことは違うわけで、かなりびくびくしながら風呂に入る日々。素っ裸で血まみれは胎児みたいで嫌だなぁ。
 最近風の強い日が多いですね。バイクでの早朝出勤も厳しさが和らぎ、天気の良い日は気分の良さにまかせてアクセルを握る手にも力が入ります。まだまだ寒い日は多いけれど、お昼の時間だってだいぶ長くなりました。
 そろそろ春が近いようです。おあつらえ向きに外では桜が満開です。
 僕はまだ花粉症にかかってないので、春は大好きです。心が和みます。桜の樹が大好きです。幹と花の絶妙な色合いを見てると詩人になれます。やわらかいお日さまの下、桜の樹を眺めながら歩く天神原公園が好きです。大好きな人と手をつないで散歩するのが好きです。
 そんな妄想を延々と広げていると、キーボードに灰皿ひっくり返してジャリジャリいわせながらピンク色の嘘を書いてても全然ブルーになりません。
 カップやきそばってあるよね。かやくとお湯入れてふやかしてお湯捨ててソース入れて混ぜていただきます。うん、それ。作り方なんか見なくてもわかるやつ。
 カップラーメンとかハンバーガーとか、身体に悪そうなものが好きなので、カップやきそばもよく食べるのね。新しいのとか出ると大体試食の刑で、「塩カルビやきそばは一生買わない」という誓いも最近立てたくらいです。
 今日食したカップやきそばは、「わかめやきそば」。げ。なんだこの味。これはちょっとヤバいんでないですか? 作った奴の舌ってどういう構造ですか? それはそれはもう塩カルビなんて目じゃないですか?
 …はて。このやきそば、たしかワカメなんて書いてなかったような。いや、でもこれは間違いなくワカメだ。あれ。
 不思議に思ってふたを見てみると、やっぱりワカメなんてどこにも書いてない。お。ちょっと待て。ここに小さく書いてある。やっぱりこれはワカメやきそばなのだ。

 「今ならワカメスープ付!(カップにお湯を入れてお召し上がりください)」
 桜が散ってます。風に吹かれるたび儚く儚く散ってます。桜吹雪の中をバイクで走り抜けると、とても綺麗。散った花びらは僕をひとしきり楽しませてくれたあと、車に踏み潰されて、路肩で泥とごちゃまぜになって、汚いゴミになるだけです。
 近所にちょっと有名な桜並木があるんですが、そこに大きなマンションが建つらしいです。付近の住民さんはよほど気に食わないのか、手あたり次第に「自然を汚すな」とか「美しい環境を守れ」とか「静かな住宅街に巨大マンションはいらない」とか、大 きなベニヤ板にペンキで書きなぐってずらーっと並べてます。
 儚く散る桜を楽しむ前に、圧倒的な数の汚い看板が否応なしに目に入ります。
 毎年のお花見はここでやってるんですが、今年はこんなんなので別のとこへお散歩に行きました。
知ってます? 目薬って、容器がまつ毛とかについちゃいけないんですよ。ばい菌が入って薬が痛むらしいです。そうすると、目薬が目毒になっちゃう。
だから、目薬を差す時は2階からやらないといけないんです。

友達がね、目ン玉に突っこみそうな勢いでグワッてやるんですよ。雫を落とすんじゃなくて、直に注ぎこむ感じで。そりゃもう豪快ってなくらい。
彼の場合、「目薬を刺す」と言った方がいいかもしれないです。
 春風邪を引きました。そんな風邪はありませんでした。
 僕はとても感傷屋さんなのですが、熱が出るとさらに磨きがかかります。「そろそろ人類は滅亡してもいいよね」とか言い始めます。これだけ好き勝手やってきたんだから、もう神様に返してもいいと思うのです。
 それは感傷というかなんか別のものなんですが、これも人恋しさの裏返しなのかもしれないです。誰かに看病してほしいです。誰かに心配してほしいです。一人で寝てるのは寂しいです。
 普段出てこない自分が、そこにいるのです。
 熱が引いたらいなくなるんですけどね。
 桜の匂いも消えてしまいましたね。春の匂いまで消えてしまったようで少し寂しいです。でも、桜の樹は青々とした葉っぱをいっぱいに伸ばして、また来年に綺麗な花を咲かせるため、日夜頑張っているのです。
 今年は色々と忙しくてまだ書いてないんですが、毎年春になると小説を書きます。別にそう決めてるんじゃなくて、単に書きたくなるのです。現に今もうずうずしてます。もう少しして時間ができたら書こうかな、と。
 といっても、ちゃんとしたものじゃなくて、必ず途中で飽きてそのままポイです。これも毎年恒例。だから一冊の本にしたくてもできません。とほほ。

 小説を書く時は、風景描写や心理描写を考えるのが好きです。書いてる時は完全に酔ってるので、あとで見返すと恥ずかしくてたまらない。でも、それが楽しくてたまらない。
 中でも桜と雨の描写が好きで、必ず入れます。それがやりたくて書いてるようなもんですから。ゆえに舞台の季節はいつも春で、どこかで雨が降ります。困ったものですね。まぁいいんです。

 去年の春はちょうど暇だったので、1ヵ月費やしてたくさん書きました。文庫本サイズにすると200ページくらいになるかな。主人公+準主人公×2の3人を設定して、それぞれでまったく違う物語が進んでって、それでいて各物語が絡みあってるっつぅ、実力不相応な小説。まぁいいんです。

 そんで、準主人公の一人、七瀬いつみさん(14)。主人公の妹。
 この年の春小説は、彼女の出番のひとつである7-3章がちょぴり気にってるので、ちょこり載せてみることにします。まぁいいんです。どうせ本編が日の目を見ることはないんだから。
 思いきり途中から切り取ってるので話は見えませんが、その辺は雰囲気を感じる程度にあっさり風味でお願いします。

 ここでの登場人物は、七瀬いつみさんと、お友達である安原香代子さんの二人だけ。
 一部分とはいえ結構長い(30KBくらい)ので、時間のない人はやめといた方がいいです。あと、ヌルいのが嫌いな人は絶対にやめた方がいいです。確実に全身かきむしり病にかかります。
 そいでは行ってらっしゃい。
 今日は仕事の打ち合わせではるばるお茶の水まで行ってきた。俺は町田市と神奈川県の境い目に在住してるので、ちょうど東京都横断ツアーとも言える。
 朝、エレベーターで1階へ降りる時、見たところ20代前半の若人と乗り合わせた。ぱりぱりのスーツ。傷ひとつない鞄。みなぎる生命力。頑張れ新入社員。しかし君はなんでそんなに臭いのかな。まるで50を過ぎたおじさんの頭部みたいな悪臭。地獄のような15秒間。
 さらに、切符を買って駅の階段を上る時、ふと見上げた先にコギャルのパンツを認めた。汚ねえもん見せんじゃねえ。
 朝っぱらから立て続けに不快な思いをして、すっかり気を悪くした俺。

 町田駅。ここから小田急線に乗って新宿まで行くのだ。現在、朝の8時。ごった返す人、人、人。殺人ラッシュ。直立も困難な急行電車に、俺は乗った。殺人電車。皆はそうまでして会社に行きたいのか。電車に乗る習慣がない俺には、地獄のような40分。
 ふと眼下に目をやると、40cmほど下にかわいらしいOLさんがいた。視界に入らなかったので気づかなかった。電車が揺れるたびにむぎゅーっと密着する。うん、悪くないね小田急線。
 ところがこのOLさん、なにかやたらもじもじしてる。心なしか、俺をちらちら見てるような気がする。駄目ですよ、僕、売約済みですから。
 しかしそれにしちゃ様子が変なので、ちらりと見てみると、後ろで顔の赤いオヤジが今にもイキそうな表情を醸し出している。これはもしかしてやっぱりアレなんだろか。でも勘違いだったら格好悪いなぁ。もしかしたら上司と部下で変態プレイを愉しんでおられるのかもしないし。それだったら邪魔しちゃ悪いよね。
 試しに、電車の揺れに乗じて自分の後ろに隙間を作ってみると、ちっちゃいOLさんはすかさずすり抜けてオヤジから離れた。おぉ。これはやっぱりアレだったのだ。初めて見た。どきどきだ!
 さて、どうしよう。正義漢を気取るのもいいけれど、あいにく俺はそこまで格好よくない。オヤジにもたぶん家族がいるだろうし、OLさんにも恥をかかせてしまう。さて、どうしよう。こんなのは初めてなので、どうすればいいのかわからない。
 そうこう考えてるうちにOLさんは逃げるように降りてしまい、オヤジと俺だけが残される。さて、どうしよう。とりあえず鉄道警察屋さんに突き出してもしらばっくれるだろうので、登戸で降りようとしたオヤジの腕をがっしりと掴んで、新宿までご同行いただいた。オヤジは抵抗してたけど、そんなん無視である。あくまでも無視である。警察行きが会社の遅刻ですむんだからいいじゃないか。

 新宿で見知らぬオヤジとのランデブーを終えた俺は、次に中央線へ出向いた。これでお茶の水まで行くのだ。入ってきた電車は201系だった。201系。まだ使ってたのか省エネ電車。
 俺の記憶が正しければ、103系全盛の時代に颯爽と登場したハイテク電車、201系。中央線は、付近の鉄道マニヤの自慢の種だった。当時、俺はまだ小学生だったような気がする。
 その頃は我が横浜線も、京浜東北線と中央線と総武線の中古車両をごちゃまぜにして、青と赤と黄色が混在するという世にも珍しい電車だった。休日ダイヤもなかったし、まだクハモハモハサハモハモハクハという7両編成だった。
 八王子と東神奈川を結び、横浜まで行かない、世にも珍しい横浜線。今では8両編成になって、専用の車両も与えられて、休日ダイヤも作られて、あまつさえ意味のわからぬ快速まで登場したけど、俺はそんな横浜線が大好きだ。
 ゴキゴキとうるさい省エネ電車に揺られながら、俺は鉄道マニヤだった少年時代へ想いを馳せていた。ゴキゴキとうるさい。ほんとにうるさい。諸君も古い電車に乗る時は、車両の横を見て、「モハ」と書いてあったらやめておこう。「サハ」が一番静かでよろしい。

 さて、お茶の水に到着である。見知らぬ街、お茶の水。ここで俺のことを知ってる人は一人もいない。誰も俺のことを知らない。孤独になる街、お茶の水。
 約束の喫茶店に到着するも、30分も早いので相手はまだ来てない。ふむ。とりあえず、好きなエスプレッソを頼んで煙草に火をつける。窓の外を見やると、道路の向かいにボロい空き缶回収器があった。空き缶を入れるとお金が出てくるやつ。
 昔は空き缶回収器も結構見かけたのに、今は絶滅寸前である。寂しいものだ。少年の頃はいい小遣い稼ぎになったものだけど。
 なんとなく見ていると、驚いたことにこの回収器は現役のようである。コンビニ袋に空き缶を詰めたおじさんが、ちらほらとやってくるのだ。家のないおじさんが。俺が少年の頃やっていた小遣い稼ぎを。
 空き缶回収器はアルミ缶しか入れられないので、おじさんは袋から出した缶がスチール製だと、そのまま放り出していた。ふたつの缶が勢いに逆らわず転がり、歩道の真ん中で存在を主張する。おじさんはお小遣いを受け取ると、そのまま旅に出てしまった。後には、空き缶だけが残されていた。歩道を歩く誰もが、彼のことなど気にもとめなかった。それは、なんと寂しい光景だろう。
 打ち合わせをしている時も、空き缶のことが気にかかって仕方ない。これが終わってもまだ転がっているようなら、俺が引導を渡してやるか。そんなことをずっと考えていた。
 しかし、何本めかの煙草に火をつけようとした時、次にやってきたおじさんが「彼」を拾い上げた。そしてスチール製であることを確認すると、そのまま脇のゴミ箱へ入れたのである。うん、いい街だ、お茶の水。

 打ち合わせを終えて外に出ると、とても良い天気だった。このまま帰るのもつまんないし、せっかく知らない街に来たのだから、少し散歩でもしようか。
 そう思ってうろうろ歩きまわる。きょろきょろする。面白いものがいっぱいある。計量器ランド。ここにはなにがあるのだろう。パリコソタクー。ここにはなにがあるのだろう。帝国探偵事務所。これは関内にあるアレと同じものだろうか。
 夢中になって歩いてたら、駅の方角を忘れてしまった。歩けど歩けど、見憶えのある場所に出ない。これはひょっとして迷子というやつだろうか。
 実は迷子もそう珍しいことではない。年に一回くらいはやってしまう。でも、迷子は結構好きだ。どきどきする。だって、ここで迷子になっても死なないし、帰れる保障もある。だから探検気分も楽しめる。誰一人として、俺が迷子で困ってるなどと気づかないのだ。しっかりと目的地があって歩いてる人と同じに見えるのだ。こんなどきどきすることも、そうそうない。

 おなかが空いたので、途中の吉野家で飯を喰う。昼飯時のせいで賑わっていた。店員の教育が行き届いていて、気持ちの良い挨拶でお客さんを迎えていた。お冷を頼むと、忙しいのにとても愛想良く接してくれた。これは感心だ。
 牛鮭定食を食しながら店員さんを見ていると、ひとつの事実に気がついた。目が笑ってない。うん、いい街だ、お茶の水。

 それからさらに30分くらい迷子になっただろうか。向こうに電車のガードが見えた。同時に、短い旅も終わりを告げた。
 はて。どうしたことだろう。ここは来たことがある。見憶えのある光景。デジャヴュ。そう、ここを曲がると向こうに電車の博物館があるのだ。その通りにあった。電車の博物館。もしかしてここって秋葉原。おかしい。俺はたしかお茶の水の街を探検していたはずなのだが。
 仕方ないので怪しい電気パーツ屋を物色してまわり、帰路につく。駅のホームで路線図を見たら、お茶の水と秋葉原はとても近かった。なるほど、それは知らなかった。帰りの小田急線では疲れが出て居眠りをこいた。疲れた。

 町田駅に着く。やはり地元は良いな。ヨドバシに寄ったりしてまた歩きまわる。夕方になるとまたおなかが空いたので、今度は松屋に寄ってみた。この間友人から耳にした話では、松屋では牛丼が290円で食せるらしい。そのせいで吉野家のシェアが奪われつつあり、対抗策として異例の150円引きをやったところ、とんでもない反響を呼んだとのことである。吉野家マニヤの俺としては気になる話である。
 とりあえず松屋の牛丼がどんなものか、試食の意味を兼ねて頼んでみた。喰ってみた。まずかった。さすが290円。
 しかしコンビニ牛丼に比べれば遥かにマシであり、味噌汁までついてこの値段なら充分にお得である。これは吉野家もうかうかしてられないぞ。

 そろそろ家に帰ろうと思い、バイクを停めてあるとこへ戻ると、駐車禁止の札が貼ってあった。俺のかわいい彼女に汚ねえもん貼るな。
 帰宅してからちょこっと雪子ちゃんと遊んで就寝。今日は良い夢が見られそうである。
 4パック100円の納豆。インスタントの味噌汁。ちょっと高かった浅漬け。婆ちゃん謹製の殺人梅干。よく冷えた南アルプスの天然水。そして丼いっぱいの炊きたてご飯と、定番のごま塩ふりかけ。それだけ。
 あぁ! この幸せをいったい誰と分かちあえというのだ! いやまじで!
 春ですね。日もだいぶ長くなって、東京では19時を過ぎてもまだ暗くなりません。考えてみれば夏至まであと2ヵ月ほど、当然です。
 少し遅い啓蟄といったとこでしょうか、最近、虫んこがすごいです。部屋にいっぱい出てきます。
 本当は虫んこといえども殺生はしたくないのですが、見つけ次第撃沈しなければなりません。なにせ彼らは放っておくと空飛ぶ黒色潜水艦になるのですから。大樹の苗は小さいうちに摘んでおかねばならんのです。

 多い時は数時間で10hitもあたり前。下手なとこひっくり返すと5hit Chainだって可能。

 幸いにも大型の黒色潜水艦は見かけないのですが、たぶん「見かけない」だけなのでしょう。人間と同じで、幼き命は生き残るすべを知らないだけなのでしょう。大型のやつは、間違っても人の身体をよじ登ってきたりはしませんから。
 そうこうしてる間にもまたひとつ、命がティッシュにくるまれて散ります。たまに撃ち損じると、脚が何本かなくなって引っくり返ってじたばたします。そんな時は思わず天を仰ぎます。せめて考える間もなく瞬殺するのが唯一の免罪符だというのに……。
 ティッシュの中で、ちょっと向きが悪い時は、プチと音がする時もあります。その音は紛れもなく、……。
 実は前々から思ってたんだけどさ、吉野家で「つゆだく」とか「つゆ抜き」とか頼んでる奴らって一体なんなの? そんなのお品書きにゃないのよ? あったり前の顔して「大盛、つゆだくで」とか言ってる馬鹿見ると無性に腹が立つ。かー!
 まぁ吉野家も客商売だからさ、その程度の我侭は聞いてやってもいいと思うし、聞いてくれるところが好きなんだけどさ、ネギ抜きってのはなんなのヨ?
 いいからお前はもうここ来るな。テメエにゃ松屋かすき家の粗末な290円牛丼もどきがお似合いだ。マジで。
 出た!出たんだよ!でかいのが!俺の部屋に!こないだ出ないと書いたばっかなのになんと説得力のない!しかし!ついに!壁をつろつろと!超大型黒色もごもご。
 読売新聞型爆雷もキンチョール式毒ガス兵器も誘引剤付粘着地雷もなにもない俺の部屋!ただ押し入れの奥へ消えていくのを黙って見てるだけ!あぁなんともどかしい!そしてロスト!
 これは至急に対策会議を開き敵の先手を打たねば、少し遅い啓蟄といったとこでしょうか。などと呑気なことも言ってられぬ!
 嫌だ!奴らは嫌いだ!飛翔するから!しかもこっちに!だめなんだ!だめなんだよう来ないでくれよう。寝てる間に腕の上を歩くのはやめてくれよう。夜中の便所で踏まれるのはやめてくれよう。
 だめなんだ。どうしても。我々は精子の時点で遺伝子に「奴らは怖い」と根深い傷跡のごとく刻みこまれているのだから。これは生まれた時からあって一生消えない傷跡なんだ。
鳴らないかもしれない目覚まし時計。

新しいの買わないとなぁ。僕はとても困っているのだ。
 やぁ。久しぶりですなぁ。5月はパチョ奮闘記で皆勤賞を狙うべくかかりっきりだったので、こっちが見事に犠牲になりました。わかりやすいですね。

 んで、何年ぶりかに旅行へ行って参りました。関東人の定番、鯵の王国、そう、そこは伊豆。魚が参ると書いてアジです。否、魚を喰うために参ると解釈した方が的確かもしれません。伊豆の鯵はそれほど美味い。
 といっても、伊豆なんて近所です。高速が空いていれば1時間ちょっとです。ましてやシーズン前だし。

 向こうでは特に観光するわけでもなく、旅館でダラダラして過ごしました。お仕事で疲れた身体にゃ良い休養でございます。夜の花札デスマッチでは人生初の五光をフィニッシュしてごきげんでした。この旅一番の想い出。

 帰りがけ、不思議な遊覧船に乗りました。なんていうか、モーターボートばりにパワフル。ものすごい音を立てて船首を高々と上げ、大海原を滑走。かきわけられた白波は伊豆の透き通った海へ溶けていき、雄叫びを上げるエンジン音は機械的な名所案内のアナウンスを鮮やかに消し去ります。お見事というほかありません。
 そして、なにやら名所っぽい飛石浜についたらペースを落とし、おもむろにUターンしてまた滑走。
 横浜にある山下公園ってとこの遊覧船に何度か乗ったことがあるんですけど、名は同じでも種類はずいぶん違うようです。

 あと、変な料亭にも行った。高いだけあって美味かったものの、この地では刺身なんてどこも同じ味って気もします。無性に。さすがに田舎(鹿児島の枕崎港の近く)で喰う刺身に比べると少々劣るけど。ていうか取れる魚の種類が違うので比べるもんでもない。
 ともあれ、やはり東京とはダンチでした。マジクソで。またしばらくは刺身が喰えなくなりそうです。
 いやしかし、ウニお一人様2500円は高すぎません? マジクソで。
 花火マニヤなんです。わたくし。マニヤってほど数は見ないけど、好きレベルは充分合格でしょう。
 毎年必ず見るのが、7月20日の横浜国際花火大会、8月1日の神奈川新聞花火大会、そして6月2日〜3日の横浜開港祭花火大会の3つ。全部横浜のみなとみらい近辺。あとは都合が許せば逗子とか鎌倉とか行くんですが、同人野郎としては時期が時期なので、なかなか機会に恵まれません。隅田川が入ってないのは気のせいではなく。東京湾大華火祭が入ってないのは明らかに気のせいではなく。

 花火で愉快なのは、なんつっても大玉。二尺玉はスゲエですよ。あんなん川じゃ撃てません。火薬ってより爆薬って感じでズドンですよ。空気の振動が内臓を揺るがす感覚は一度味わったらやめられませんって。
 まぁその辺は7月20日以降に書くはずなので後まわし。

 今日は横浜開港祭の花火大会に行って参りました。実は昨日も行きました。ごめんなさい。開港祭ではチアキとかいうチロルの娘が歌っておりましたが、まったく聴いておりませんでした。ごめんなさい。

 今年の開港祭花火は、去年とはうってかわって最近流行りのコンピウタ花火に化けておりました。わざわざサーチライトまで用意しちゃって、レーザーとスモークとやかましい音楽のシンクロでもって若者向けな内容。規模ではどうあがいても神奈川新聞に勝てない(会場が同じ)と見て、戦略を練り直したのだろうか。勝ってどうするのかは知らぬ。
 んでもまぁ、たまにはこういう花火も良いものでした。だって僕はまだ若者だし。そう。まだまだ若者。三十路なんて遠い未来の話。花の二十代。

 今年は久しぶりに水中花火を見たいです。
 あ、知ってます? 水中花火。単純に花火を船から落っことしていくだけで、爆雷に花火機能をもたせたようなやつです。水柱とともにドカン!ドカン!と爆裂していくさまが愉快極まりないんです。
 昔は鎌倉や逗子でやってたものの、今でもやってるかどうか……。
 街中を闊歩していたら、たてがみを緑に染めた蛍光イエローのライオンが、二本足で立って薬屋の前でビラを配っていた。そう、13時からのテレビに出てくる、あの奇怪な生物。やっぱあれだけでは生活していけないんだろか。地球での生活は大変やね。
 その隣で、女子高生が腕を組んで友達に写真を撮ってもらっていた。そんなに珍しいものかは知らぬが、別にうらやましくなんかない。

 ほどなくすると、歩道に泊めてあるバイクのタイヤを、犬がしきりに舐めていた。
 その時、俺の脳裏に「ウンチクってのはウンコとチンコはクサイの略なんじゃなかろうか」という画期的な発見がよぎったのだ。

 そういえば、以前に見た電車の吊り広告の見出しを思い出した。たしかX-BOXのスペックが発表された頃だった。
「SONY、任天堂にビル・ゲイツが挑戦状を叩きつけた。1兆円市場を握るのは誰だ」
 そこには、あるべきライバルの名がなかった。

 世界に背いた悪人二人組みがバキュームカーでルミネ町田店に突っこんで絶叫を肴に射撃を開始する日は近い。
 過去の記述をちょっと整理してみたら、このページの没率が異様に高かった。実に掲載率50%以下。
 それは単純につまんないからであったり、載せると後で痛くなるのがわかりきってたり、まぁ色々だが、俺が一番得意とする「真面目な題目」は今のところ没率100%である。まいったか。

 一方、もうひとつの雑記帳である「パチョ奮闘記」の没率は、ごく稀である。なにも考えずに書いて、なにも考えずに載せるスタイルの賜物か。
 我が家は駅前。家の名前からして駅前ハイツ。周囲にはコンビニが立ち並び、100円屋が2件あり、大規模小売店舗もあって、大概のものは揃う。隣駅は町田という大きめの駅で、ここには世界堂(絵描きご用達の画材屋)さえある。
 付近には国道16号、246号、東名横浜町田インター、保土ヶ谷バイパスなどの幹線道路が通り、海へ行くにも山へ行くにも都心へ向かうのも中途半端に遠いという、恵まれた交通環境だ。
 そのせいで昨今は再開発が激しく、邪魔くさい高層マンションがガンガン乱立している。かくいう駅前ハイツも、14階と12階の2個セットだったりする。でも築20年以上と飛び抜けて旧い。昔は市内で最高層の建築物だったが、隣駅に30階建てっつぅ馬鹿マンションが建ってしまった。それって駅前ハイツを縦につなげてもかなわないのでは?
 家からは、道路を一本渡れば駅に着く。コミケ当日が豪雨でも、この30mほどを乗り越えれば傘が不要だ。

 もうそろそろ都議会選である。選挙の時ほど駅前を呪わしく思うことはない。うるさいなんてもんじゃない。
 ありがとうございます。ありがとうございます。刃牙でございます。37歳の若さで政治を変えます。ありがとうございます。
 今度の選挙では、あの刃牙が参選しているらしい。ついに政治界へ進出か。猪木みたいだ。これは是非とも投票しなければならない。37歳というのは不思議だが、きっと素敵な活躍を見せてくれることだろう。
 余談だが、正体はマキであった。何回聞いてもバキに聞こえるんだが。

 我が家は東京都町田市。東京都と神奈川県の狭間にある町。その昔は神奈川県だったけど、借金のカタに東京都に買い取られた過去をもつ町。
 徹夜で迎えた昼下がり。眠くて眠くて倒れこむようにくたばって2時間後、鳴り響くサイレンが一面にこだました。この音は消防車。いや、救急車もいる。パトカーも混じってるな。勢ぞろいとはまた豪勢な。
 …ざけんな!
 外に出て下を見下ろすと、いるわいるわ赤いの白いの白黒の。どいつもこいつも赤いの回して、中から蟻がわらわら出てきてた。その周りにも蟻がうじゃりうじゃりとたかっている。(我が家は9階)
 14階建ての高層マンションともなると、こういう時は車も蟻も無駄に集まる。何年か前のクリスマスイブ、寂しい独り者が腹いせに商店街のしめ縄へ放火した時も、聖夜をぶち壊す騒ぎになった。さぞかし気分が良かったことだろう。
 結局、火事は火事でなく、ボヤにもならない「鍋の空焚き」だった。おおかた、煙に慌てた奥様が肝を引っくり返して呼んだのだろう。
 燃えてしまえ。
 まぁいい。罰は受けるのだ。こんな騒ぎを起こして平然としてる精神の持ち主であれば、空焚き程度で消防車は呼ぶまい。俺の眠りを邪魔した罰を受けるがいい。

 野次馬ついでに飯を買いに行くと、偶然友人に会った。彼もこの騒ぎに叩き起こされた口らしい。なんて不良な僕ら。
 俺はこの苛立ちを八つ当たりするべく彼の家に上がりこみ、ひとしきりADSLを体験させてもらった後、冗談混じりに「プレツウあるならプレステいらないでしょ、ちょうだい」とぼやいていた。そしたら、くれないまでも貸してもらうことができた。
 何事も言ってみるものである。

 ついでに、かの有名なクリゲー "FinalFantasy8" も借りる。CD-ROMを眺めてみると、裏が黒い。おもちゃみたいだな。なんでも、プレステのはみんなこうらしい。初めて知った。
 そうして俺はごきげんに帰宅し、再び眠りにつくのであった。
 ついに我が根城にも、あのPlayStationがやってきた。SEGAを完膚なきまでに駆逐した、あのPlayStationが。闘姫伝承やスターラスターが発売されている、あのPlayStationが。
 それはつまり、サターン亡き今、スーハミ&メガドラで止まっていた俺のゲーム時間が、やっと動き出したのである。これは大変におめでたいことだ。

 いそいそとテレビにつなぐ。ステレオケーブルはCDの壊れたコンポへつなぐ。電源を入れる。起動画面が現れる。おぉすごい。
 早速アフターバーナーあたりのサントラCDを入れ、再生してみる。実に半年ぶりのコンポの音。やはりでかいスピーカーは低音が違う。サターンのようななんちゃってサラウンドがないのは残念だが、贅沢は言うまい。視覚エフェクトをまじまじ直視して気持ち悪くなってみたりする。

 起動しないサターンとCDの壊れたコンポしかない、我が根城。CDをパソコンでしか聴けないオカシイ事態は、こうして仮の解決をみたのであった。
 動きかけた俺のゲーム時間は、1秒進んで、また止まった。
 スキャナを買ったんです。隣駅のヨドバシで。
 俺は、物理的に不可能な時以外はお持ち帰りが鉄則なので、なんでも持って帰ります。しかもバイクで持って帰ります。バイクといっても、スクーターみたいなヤワいのじゃなく、バリバリのレーサーレプリカ。
 自分で言うのもなんだけど、本当になんでも愛車に載せて帰ります。タンクやリヤシート、あるいは自分の身体さえも使って。
 こういう時ばかりはさすがに安全運転です。頼むから今だけは事故らないようにと、神さまにお祈りします。そして、お巡りさんに見つからないように、とも。

 ともあれ、こういうでかい箱を抱えて歩くのは嫌なもんです。
 すれ違う人のすべてが「やや、スキャナを買ったのか。平然とした顔して歩いてるけど、内心は早く帰りたくてたまらないんだろうな。かわいいやつめ。」などとほくそえんでる気がしてならないから。
 その通りだよコンチクショー
 皆さん、夏の風物詩って聞いて、なにを連想します? キャンプとか花火とか祭りとか、色々ありますよね。個人的には峠、とか。
 街で売られてるスイカを見て気づいたのですが、俺ってスイカ割り、やったことないんですよ。ほんとに。
 そう、目隠しして金属バットで頭かち割るスイカ割り。やってみたいなぁ。
 ある日ふと気がつき、ここ1ヵ月くらい観察してて、改めて思ったこと。
 なんか最近、宇宙人が少なくなってない?
 あいや、宇宙人ってのは少々失礼ですね。じゃあ「化け物みたいな女子高生」ってあたりで。

 今まで退廃的排他制御が起動していたコギャルウーメンがそこそこマシに見えてきたのは喜ばしいことですが、反面、横ちょん娘が妙に増えてきたのは腹立たしいことです。
 横ちょんというのは「横ちょんまげ」の略で、こんな感じのヘヤースタイルを指します。もちろん俺語なので万国非共通です。

 横ちょんは遥か昔から密かに熱を入れていたので、この兆候にはひどく退廃的排他アンチテーゼなのでございます。一応自ら開発したものの、赤僕の一加ちゃんに先を越されてるような気がします。そんなのはどうでもよくて関係ないです。
 うぅむ。どこで情報が漏れたのだろう。横ちょんとジャンスカだけは流行の外にいてほしいのですが。
まず、カップを冷蔵庫へ入れるなどしてよく冷やします。
次に、カップに熱湯を注ぎます。
手のひらでカップを包むように持ち、「冷たい」から「熱い」に変わる「つめたあつい」の瞬間が好きだったりします。変態ですこの人。
 近所にファミリーマートがあるんです。駅前にもかかわらず、付近の住民に不評の。
 床はいつも汚いし、いつでも薄暗いし、棚はいつもスカスカ、愛想の悪い奴を選りすぐったバイトども。
 なんていうか、それ以前に雰囲気が他のファミリーマートと明らかに違う。
 1kgで600円、2kgで1390円のあきたこまち。カップラーメンにつける割り箸は1本4円。棚の8割がシーチキンで埋まってるおにぎり。

 だいたい店長からして「東京に住んでる人間は信用できないから雇いたくない」などと言う人です。本人から直接聞いたので間違いないです。コンビニなんてどこも同じとか思っちゃいけません。諸悪の根源がここにあるのです。

 駅前なのにもかかわらず、いつもどんな時でも店はがらがら。でも、周りの店ができては潰れていく競争の激しい駅前で、もう15年くらいは続いてるファミリーマート。
 それは本当にファミリーマート?
 今日は横浜の臨港パークってとこでやる「神奈川新聞花火大会」に行ってまいりました。
 ここは横浜三大花火大会のトリを飾るので、だいぶ豪勢です。毎年行きます。7月20日にやる国際花火大会と違い、平日率が高い8月1日にやるので、だいぶ空いてます。おすすめ。
 ここ数年は国際花火大会を明らかに上まわってます。

 ところで、本当に横ちょんが増えました。30人くらいまでは数えてたんですが、面倒くなってやめたくらい。ていうか本当に忌々しき事態です。国際横ちょん普及阻止委員会初代栄誉会長補佐代理の孫の友達の兄の嫁として、これはなんとかせねばなりません。
 見かけるたびに貴様がやっても似合わねえんじゃあああぁぁ!と指さして鼻の穴にダブルで突っこみそうになるのですが、今のところはまだ全部未遂に終わってます。
 本当、勘弁してください。お気に入りだけに見たくない。そんな乙女心がわかりませぬか。
 280円。吉野家の大挑戦が始まりましたね。吉野家&ガストオタッキーの俺としては、この結末を見届けるまで死ぬわけにまいりません。
 誰もが思った質の低下も、さすが吉野家です。いい仕事します。
 しかし280円ですよ奥さん。1000人に気前よくごちそうしてやっても、たったの280280円ぽっきりですよ旦那。それでなくても週に8日は吉野家へ行く俺ですから、これはまさに外食革命なのですよ。下手なエコノミー自炊をするより、よっぽど安上がり。

 しかし一方で納得いかないのは、大盛と特盛の値段設定。
 もちろんこやつらが高いのではなく、並が飛び抜けて安いんです。その辺誤解しちゃいけません。でも、だって、特盛が600円になった時に「吉野家はわかりやすい100円きざみ」とか言ってたじゃない……。
 だから僕は、並を340円にすることを望むんです。
奇妙なピエロが笑顔で迎える怪しいハンバーガー屋さんで、レタペパチーズバーガーとアジアンダブルマックなるものを食しました。ここはだいぶ嫌いなんですが、なぜかよく行きます。ほんと、なぜか。
言うなれば、モスバーガー&フレッシュネスバーガーオタッキーの一人として、より嫌いになるために行くのです。そうに決まってます。

で、気になるお味の方は、まぁ喰えないほどではなかったけど、パティが飛び抜けて不味いのはハンバーガーとしてどうかと思うぞ。

俺は頼んでみたいよ「ビッグマック、肉抜きで」。
「平日半額」ではなく「休日倍額」。
もしくは平日と休日で味が違う。

時にこの奇怪なピエロもどき、幼い頃は怖くて仕方なかったものです。
先日に友人と長電話をしている最中、なんの予告もなく眼鏡のツルがもげました。僕は裸眼視力測定不可という脅威の視力の持ち主なので、これは洒落になりません。予備もあるにはあるんですが、度が弱すぎて話にならない。
で、古いやつのをヤスリで加工して、無理やりくっつけたんです。ん、まだ使える。そしてここに、左右のツルが違う異形の眼鏡が誕生した次第です。
[ はなばんそうこう 25KB ]そのせいでしょう、眼鏡ずれとでも申しましょうか、鼻の頭んとこがひどいことになってます。痛いのでばんそうこう貼ってみたり。
あぁあこがれの鼻ばんそうこう。僕ってかわいい。自分でやっても見えないので、ちっとも嬉しくない。あぁ痛い。
今日はどこかで漫画祭りがあるらしいです。友達も絵描き仲間もみんな行ってしまいました。
はて、僕はなぜここでのんびりパソコンと遊んでんのでしょう。
そろそろこのScrawl Notesにもバックナンバーを作ってあげないといけないですねぇ、なんて呑気に考えてた午前10時。
一応拍手とかしてみました。誰もいない部屋の中で、独り。ぱちぱち、と。
なんとなしに道を歩いてたら、「くしゃっ」て感じでなにか踏んだ。
なにか、軽く丸めた紙くずを踏んだような。
そこには、セミみたいなものが。
そういえば、その瞬間にジッとか聞こえたような。聞こえたようなああぁぁぁ
 ぼくのお気に入りはゲートウエーのパソコンです。がんばってはたらいて買いました。とてもお気にいりでだいじに使っています。パパが名まえをつけろというので、ゆきこちゃんという名まえをつけました。
 それはなぜかというと、ゲートウエーの本のところにゆきこって書いてあったからです。
 パパは「あそこはあぶないらしいぞ」と言ってたけど、お店にいくといつもきれいなお姉さんがわらっていいこいいこしてくれるので、なにがあぶないのかぼくにはわからなかったです。
 友だちのあきひろ君は「ばかだなあ、あそこはとうさんなんだよ」とおしえてくれた。でもぼくにはすぐうそだってわかりました。それはなぜかというと、あきひろ君のパパはがくしゃさんだからゲートウエーにいるはずないからわかりました。
 きのう、いつものようにゲートウエーのホームページにいくと、いつもとが面がちがっていました。
 パパは「やっぱりな」と言ってました。なんのことかきいても、パパはおしえてくれませんでした。パパがゲートウエーにおわかれのあいさつをしにいこうと言うので、つれていってもらいました。
 きれいなお姉さんはいつもみたいにわらっていいこいいこしてくれたけど、なぜかいつもとちがうような気がしました。
 お姉さんがさよならと言うので、ぼくもさよならと言いました。
 パパもさみしそうなかおをしていました。
 となりにあるゆきこちゃんも泣いているように見えました。
 ぼくもさみしくなりました。
 眼鏡ずれが悪化して痛いことになりました。「これは痕が残るなぁ」とか思いながらばんそうこうを貼る毎日。別に残ったところで気にする人でもないけど、なにせ眼鏡がないとなにもできないので、治りが非常に悪い。
 それでも少しずつ治ってきてるのに、すぐ皮むくもんだからまた元通り。馬鹿ですねこいつ。

[ 原画はmAttyで色塗りは俺 40KB ]

 さて、そんなことをくり返してた先日、今度は反対側のツルがもげました。
 今まで何回か眼鏡を買い替えたけど、ここまで満身創痍になったやつは初めてです。これの前のやつなんてバッティングセンターにて粉砕即死だったというのに、なんと往生際の悪い。
 だめですよ。完膚なきまでに壊れないと、ほら、また無理やり直してしぶとく使い始めた。
 で、予想通り反対側も眼鏡ずれ。
 なんか俺って面白い人ですね。
スーパーとかデパートでよく流れてるじゃないですか。歌謡曲をおとなしい曲調にした、変なカラオケみたいなBGM。
…ん?この曲…どこかで…?
あぁそうだ。あれだ。変なアレンジしてあるけど間違いない。
サジタリウスの主題歌だ。
品定めするふりをして、スピーカーの真下でたたずむ男が一人。

そういえば今アニメの再放送やってるものね。DVDも出たものね。
TV録画してもらってるけどね。サントラもあるけどね。
好きなんだよねー。数えるほどしかない「思い出のアニメ」のひとつ。
無理やり直して無理やり使ってる眼鏡。
下を向いただけで外れ落ちる僕の眼鏡。
ラーメンを喰っている時の悲劇でした。
 なんだか今ごろアルマゲドンを観ました。そう、ディープインパクトの双子。世紀末において、MMRよりも現実的だった「世界破滅」のトリガー。
 内容は可もあり不可もありって感じで、まぁこういうのは娯楽映画なので、気にしないで楽しむのが吉です。余計な批評などは並べるだけ無駄です。ただ、CGはもうちょっと綺麗に作れたんじゃないかな、と。

 前半、ニューヨークが隕石群に襲われた後の光景。立ちのぼる煙と赤い炎、そして半壊した双子の巨大ビル。現実は、時にフィクションより過酷。
 パソコンのディスプレイでは、役者扮する大統領が希望ある演説をしてます。テレビの画面では、ブッシュ大統領が物騒な演説をしてます。なんていうか、…人間て情けないナマ物だね。

 そしてDVDならではの利点、字幕と吹き替えの同時再生。
 ふーん。字幕ってかなり省略されてるのね。吹き替えはずいぶんわかりやすくなってるのね。基本的に吹き替えは嫌いなのでテレビでは観ないんだけど(CMあるしカットされるし)、映画鑑賞にあたってひとつお勉強になりました。
 …ヒアリング技能があればいいんだけどね。

 しかしわからんのは、これを借りたレンタルショップでは、宮崎アニメがほたるの墓しかなかったこと。そのチョイスがすごく不思議。紅豚と耳澄まが観たいのになぁ。(根城にはビデオなるものがありません)
 まったく、ハンドメイドメイは全巻あるくせしてね。
 我が町田市はここ数年、再開発が急速に進んでます。中心はやはり町田駅周辺であり、その隣にある成瀬駅も巻き添えです。邪魔くさい高層マンションが雨後のたけのこです。
 まぁそういう俺も14階建てに住んでる身分なので、あんまりとやかく言えんのですが。

 建設予定地に立って空を見上げると、当然ながら青い空が視界いっぱいに広がります。そこにはなんにもありません。
 あと1年、いや、数ヵ月もすれば、この空は鉄筋コンクリートに隠される。「なにもなかった」空間に、人がいる。「なにもなかったはずの」空間で、人が生活している。「かつてなにもなかった」空間で作られていく、数々の思い出。9階に位置し空を遮るこの部屋で作られていった、数々の思い出。
 それは、どこか不思議な感覚であり。

 そんなことを考える小学生でした。
 調子こいて、今度は The Nightmare Before Chiristmas を借りてきました。これまた今さら。CGの次は人形劇。
 まぁ東急ハンズでは早々とクリスマスセールが始まってることですし、よしといたしましょう。

 この映画、当時は結構話題になってフィギュアとかも売ってたんで、知ってる人も多いでしょう。カボチャの帝王を名乗る骸骨がサンタクロースを拉致監禁して、子供達に恐怖のプレゼントを届けるお話。市民は魔物に怯え、軍隊が出動し、聖なる夜に高射砲の轟音が響きわたる…そんなお話。そして骸骨とゾンビの間に芽生えた愛とは。

 どこかSEGAのNightsにも似た印象のファンタジー。いやぁ、面白かったです。アルマゲドンは一週間で4回観たけど、これは2日で3回観ちゃいました。返却まであと4日あるから、10回くらいいけそうですね。

 音楽も気に入ったので、今度サントラを探してみよう。
 納豆、漬物、梅干、毎日の食卓に並んでてほしい「三種の神器」。日本に生まれた幸せを感じるひととき。
 そんな彼らに敢然と立ち向かうのがgyo-za。これまた毎日でも余裕。
 餃子といっても、もちろんチルドです。大量に作り置き…という定番はしません。なぜなら根城の冷蔵庫は最新型の大型4ドアでして、食料を入れておくと勝手になくなる不思議機能を搭載してるからです。

 このところ、毎日欠かさず彼を食卓に迎えてます。たしかに毎日でも余裕ですが、そうする理由はどこに?
 安いんです。
 近所の100円屋さんでは16人セットで売ってます。「餃子」としての出来は値段相応だけど、俺は食に全然こだわらないので結構です。すなわち、「餃子」であることに価値があるんです。

 そんなんで毎日通っておりますと、賞味期限に近いやつの半額セールによく出くわします。毎日でも余裕の彼が32人揃って99円ですよ。俺は食に全然こだわらず、賞味期限の1日過ぎや2日過ぎもこだわりませんから、10箱くらいまとめ買いするのです。
 あぁ、160人で396円の幸せ。(もっとも、うち半分ほどは最新型冷蔵庫の不思議機能によっていなくなるわけですが)

 こうなったら「毎日欠かさず」記録をどこまで伸ばせるか、チャレンジしてみましょうか。そうですね、ライバルは漫画家の村枝賢一氏ということで。(高校生活3年間、カレーパンを欠かさなかったそうですよ)
 根城、典型的な「万年床」で、常に布団の上で生活してます。パソコンいじるのも絵を描くのも飯を喰うのも寝るのも、全部布団の上です。
 灰皿も布団の上にあるので、ちょっと危ない。気づいたら煙草が転げ落ちてたりして、おコゲがたくさんあります。ちょっと、じゃないですね。
 さっきも新しいのをひとつこさえました。シーツに直径18mm(実測)の立派な穴。特に動じる様子もなく煙草を拾い上げ、特に意識もせず、ふっ、と灰を吹き飛ばす俺。すぐ脇の灰皿から舞い上がる鉛色の粉雪。慌てて掃除機を持ってきて灰を掃除する俺。その後ろ、掃除機の排気口すぐ前にあった、もうひとつの灰皿。より高く舞い上がる粉雪。振り返った瞬間に脱力する俺。
 見なさい。人生はこんなに楽しいことばかりなのです。
 俺は俺である。
 正しい意味での自意識を常に保とうとするのは、大事なことだけどなかなかに難しい。
 「俺が俺である」ということは「他人から不当に侵害されない」ことであり、それが成立するには「他人を不当に侵害しないこと」が根本に必要とされる。つまり、社会、他人に迷惑を与えない範囲においてしか認められないのだ。
 それでも俺は、我を通すためにしばしば他人に迷惑をかける。
 結局、自分の自由を求めるあまりに、自由が成り立つ条件を無視しているだけなのかもしれない。
 逆に言えば、迷惑さえかからなければ好きにやっていいということになるのだけど。
冥々なる人間 可山優零著 川島書店 2400円!
 誰でも「もし体が動かなくなったら」なんてこと、一度は考えるじゃないですか。試しにいつまで耐えられるかって実験をしたこともあるじゃないですか。
 この本は、交通事故で四肢麻痺になってしまった人が、口述筆記で書いたものです。

 率直な疑問の数々。首から下がまったく動かない世界では、身体にどういう変化が起きるんだろう。どれほどの苦労を強いられるんだろう。病院や施設の対応は? 社会的な地位は? 助力なしでは生きることさえできない自分の存在意義って?
 そんなことを、それはもう明確に具体的にはっきりと嫌と言うほど心が痛くなるほど、疑似体験させてくれます。そう、五体満足であることがどんなに幸せなことか。
 ちょっと哲学入ってる部分もあって読みやすい本ではないのですが、書庫に一冊、どうでしょう。多少の怪我では動じなくなりますぞ。
 ちなみに実験はいつも1時間以内に挫折します。やっぱ「できない」と「しない」の差は埋めようがない。
絵の世界の根源にあって、「間違い」などというものは決してない。
たとえどれだけ変であっても不自然であっても、そこに枠を作ることは誰にもできない。
枠は他人の目を意識した時に、初めてできるものだ。
サターンが壊れちゃったので、新しいのを1500円で買ってきました。ええ時代や。
初期型からセガタサーン白になって、気分も真っ白。
役目は(もちろん)CDの演奏。なんちゃってサラウンドと充実した使い勝手は、プレステなんぞ遠く及びません。
 水を飲むのです。家にいる間はコーヒーを愛飲するんですが、かぱかぱ飲んでると口ん中が変になるのよね。
 で、そうなった時にコップ半分くらいの水を飲むと、口ん中がクリアになることを発見したわけです。これでノーベル賞はワシのもんじゃー!
 でも水出しの麦茶じゃだめみたいなので、土瓶でお湯を沸かしてから冷やしてます。土瓶を使うのは、テレビでアルミのヤカンよりよろしいとか言ってたのを真に受けたため。
 まぁ水の味なんて「水道水はまずい」くらいしかわかんないんだけどね。
 それが癖ついちゃって、今はなんでもない時でも水飲み小僧です。ぷはぁ。
 その辺の同人戦士に「なんで物書きやってるの?」って聞くと「絵が描けないから」って答える人が、いっぱいいる。おそらく周囲にあてはまるのが一人くらいいるだろうし、俺の過去の知り合いにもちらほら存在した。
 もちろん、表現の方法に手段以外のものはないから、そんな人が物書きするのも有りだ。
 ただ、「絵が描けないから」ってのはなんだろう? 「本当は絵が描きたいけど、そんな根性はないから楽にできる文字書きにしよう」ってことだろうか。
 「(絵が描けないから)文章を極めよう」ってのは、ずいぶんと失礼な話である。

 たしかに同じ内容を表現するなら、小説とかの方が圧倒的に楽だ。それは事実だ。けど、俺はそんな動機で書いたことなんて一度たりとてないし、これから先も絶対にありえない。文章には文章の魅力と奥深さがあって、絵や漫画には真似できないことがあるから、それを追い求めて書いているんだ。たぶん。
 だから、もし君が今なにか書き始めようとしているのなら、決してそんな(絵描きにも、物書きにも)失礼な理由で続けてほしくないものだ。動機は不純でもなんでもいいから、続けていく理由は「書くのが楽しいから」を据えていてほしい。

 そんな俺は、「(漫画が描けないから)編集になった」という輩も嫌いである。
 このままじゃ先は長くない。
 そう考え、「絵」と一定の距離を保つようになって、もうだいぶ経つ。その隙につけこむ形で「パソコン」が入り、これも人生などと悠長なことを言っていたら、どんどん距離が離れてしまった。もはや必要なものしか描かなくなり、らくがきは皆無に近い現状である。だからScribble Gardenは一枚も増えない。

 「俺には絵しかないから、人生のすべてをこれに賭ける」って言うと、いかにも格好よく見える。
 しかし、自分がもっている「その他の可能性」も全部まとめて切り捨ててしまうのは、果たして得策なのか。離れてみないと見えない側面なぞありえない、そう思う人って、果たして存在するのか。
 こんな台詞を本当に吐く人に出くわしたら、ぜひ「なんで絵しかないってわかるの?」とか「どうして絵なの?」とか「絵だけ描いていれば、すべてを見渡せるって確信はあるの?」とか、聞いてみたいものだ。
 絵しか描かない人が絵のことを一番よく知ってるってのは、思い上がりもいいとこだよね。

 絵との関係が疎遠になっていく過程で、今まで見えなかったものが見えた。
 そのご苦労なまでの面倒くささ、消費する精神力と時間の多さ、気が遠くなるほどの行程、副産物として「プログラム」への思わぬ適性という拾いものもあった。
 そして、出来あがったものの尊さ。
 どれもこれも、がむしゃらに絵を描いていたあの頃からは、想像もしてないことばかりだった。

 今なら、あの頃とは違う絵が描けるかもしれない。そんな感覚が芽生えてきたこの頃である。
 今日は冬の漫画祭り。あいにく忙しくて行けなかった。残念…でもないところが、時代の流れというものを感じさせる。

 初めて行ったコミックマーケットは、1994年の冬。まだ晴海でやってた頃、友達に連れられて、会場に着くなり放り出されて、あてどもなく彷徨ってた。それでも未知の世界に興奮して、閉場するまでがむしゃらに歩きまわって、何万円も使ってた。
 じきに会場は有明へ移り、回数を重ねるごとに経験を身につけ、うまく立ち回れるようにもなった。おっきなカバンを背負って、朝一番の電車に乗って、がたごと揺られて、入念にチェックされたマップを手に、新しい出逢いに心を躍らせていた。

 1997年夏、肩書きが「一般参加者」から「サークル参加者」になった。実はそれまで何度も申しこんでたのだけど、ことごとく落とされていた。それなのに、この参加以降、7回連続当選という非常事態が続くことになる。
 そこには、一般参加に存在しない出逢いがあった。感想の手紙をもらった。スケッチブックを描いてくれと頼まれた。差し入れを色々いただいた。「頑張ってくださいね」と、暖かい言葉をかけてもらった。それに応えようとして、無理して、どんどん泥沼に落ちていった。

 2000年冬、白い宛名ラベルを機に、すべてが崩れ去った。siteCTSへの来訪者の中で、かつての「トライスクエア」を知る者は、一人もいない。すべて俺が封じこめてしまったから。

 2001年冬、来たる2002年へ向けて、作家としての俺は、なにをしたらいいだろう。一度もイベントへ足を運ばなかった2001年を顧みて、俺はなにを考えたらいいだろう。
 ちなみに俺の場合、有明へは浜松町から直通バスで行くと、安くて早い。

 明後日はお正月、同時に俺の誕生日でもある。
 なんかください。





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