■■ 陰惨な「イジメ大国」ニッポンの本性を撃て! ■■       「自由な言論」を発信するメールマガジン「PUBLICITY」        編集人:竹山 徹朗氏 freespeech21@infoseek.jp        購読申込→ http://www.emaga.com/info/7777.html ▼すげえ長くなったが、どうか最後まで読んでほしい。 15日夜、日本人3人解放のニュースが流れた。 まず、この国で最高レベル(とぼくが思っている)の軍事評論 家の意見を読んでおこう。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ■タイトル 日本人人質3人はなぜこの時期に解放されたのか。 (4月16日) ■コメント 昨日、日本時間で8時40分頃に「日本人人質3人を解放」と いうニュースが流れました。 そのとき私は子どものPTAの会合で中学校の会議室にいまし た。そこに新聞社から電話が入り、「日本人3人が解放された 」と知らされました。 すぐに会議室の皆さんにそのことをお知らせしたら、会議室に いた40人ぐらいいたお母さん(4人はお父さん)と、7人の 先生たちは手を叩いて喜びました。そのとき反応に、この人質 事件が国民的な問題になっていたことを知りました。皆さんの 大きな拍手に驚きました。 なぜこの時期に人質を解放したのか。急いで中学校から自宅に 帰った私に何本もマスコミから質問の電話がかかってきました 。「予測でいいから話してくれ」という記者の言葉で、私は次 のように答えました。 イスラム聖職者協会が人質3人を受けとったことで、この人質 解放交渉は聖職者協会が主導して進めたとわかる。す ると何回かの聖職者協会のコメントは、非常に情報の質の高い ものだといえる。だから3人の人質は早い段階で解放が決まっ ていたのではないか。 「24時間以内に解放する・・・・」という文書も信頼できる 声明文だった。 それではなぜ遅れたのか。 それは聖職者協会が釈明したように治安の問題があったようだ 。 すなわちファルージャでも戦闘が緊張し、人質をとった犯人た ちは、ファルージャから米軍が撤退するまで3人の日本人人質 を確保したいと判断したのではないか。 ところが予想外の事態が発生した。それは別の誘拐グループが 、人質のイタリア人一人を射殺したことだ。 さらに別のグループが日本人2名を人質にとったことである。 このことに強い危機感を持った聖職者協会は、日本人3人の人 質をとったグループに強く働きかけ、昨夜の解放を迫ったので はないか。 それではなぜ犯人は3人の人質の早い解放を決めたのか。 それは高遠さんのためであると断言する。 高遠さんはバグダッドのストリートチィルドレンのためにボラ ンティア活動を行っていた。 この行為を犯人たちは高く評価したと思う。このことがイラク で広く伝わって、3人は人質から客人に対応が変わったと思う 。 早々とシーア派のサドル氏たちが、この誘拐は我々ではないと 表明したのも、高遠さんのような友好的な人を誘拐したことを 非難した結果と思う。 私は小泉さんがアルジャジーラ・テレビに100回出演して、 自衛隊はイラクに人道支援しに来たと言うより、高遠さんがバ グダッドの子どもたちの世話をしているビデオが報道され、そ れでイラクの人々に日本人の素晴らしさを感じさせたと思う。 最初にこの誘拐事件を知り、その中に高遠さんがいるとわかっ た時、「助かった」この事件は早く解決すると思った。 結果的にはサマワの自衛隊も、高遠さんのおかげでイラク国民 に人道的な支援を広めることになったと思う。 しかしイラク全体の情勢はこれからも悪化していくことは間違 いない。 自衛隊は無理をする必要はない。たとえ長期間、サマワの宿営 地に立てこもっても、それは治安が悪化したイラクに自衛隊を 派遣した政府の責任である。 14日に誘拐された日本人2人は、残念だが高遠さんのように はいかないと思う。ファルージャの情勢が落ち着くまで、事態 の進展は期待できないように感じている。 高遠さん、本当にありがとう。サマワの自衛隊員に代わり、あ なたがバグダッドでイラクの子どもたちを助けてくれていたこ とに感謝します。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ▼4月15日(木)、NHKニュースで3人解放のニュースを 知り、終電近くのJRの電車の中で、丸めて捨てられていた号 外を拾って読んだ。 朝日と日経がいっしょに丸めてあって、日経に載っていた地図 が丁寧でよかった。 その時点では、3人のほかに後から捕まった2人の日本人も「 解放か」というニュースが流れていたから、その日の夜は、久 しぶりに泥のように寝た。 ▼しかし、既にお気づきの読者もおられると思うが、あとから 拘束された2人のうちの1人、フリージャーナリストの安田純 平氏の文章を、知らずに前号903号で紹介していたことに気 づき、驚いた。そして、この2人の無事はいまだ確認されてい ない。 「最悪の事態」を脱した、と思ったら、脱していない。 以下、縁あって本誌で紹介した安田氏の安否が気になるが、こ れから国内で起こるであろうことに対する考えを、雑記帳的に。 ▼まず、朝日新聞の緊急の全国世論調査(電話、16日)の結 果について。 「事件への日本政府の対応について、64%が「評価する」と 回答」「犯人側からの自衛隊撤退の要求に応じなかった姿勢に は、73%が「正しかった」」とある。 ぼくは、神浦氏の文章などを読んで若干意見を変更した。自衛 隊派遣の是非と人質救出とは「関係ない」というのが、ぼくの 意見である。 自衛隊を派遣しようとしまいと、人質救出には全力をあげるの が国家の当然の責務だろう。 そのうえで、小泉首相の「自衛隊撤退拒否発言」の性急さは、 間違いなく解放の遅れにつながったと思う。そこは、のらりく らりとやる知恵の問題だろう。現政権には、圧倒的に知恵が足 りないことが明らかになった。また、人質を助けようという意 志すら感じられなかった。 ▼これから、ほぼ間違いなく、解放された3人とその家族に対 する、想像を絶する「イジメ」が始まる。 それが「日本」の本性である。本誌読者は、その本性を、よく よく見極めていただきたい。 敢えて言う、3人とその家族を責める人々は狂っている。 「自己責任」という名の暴力が、跋扈し始めている。 ▼外国人特派員協会での3家族の会見をきいたドイツ人記者が 、「なぜ、被害者が謝罪しなければならないのか」と疑問に思 ったという記事が、東京新聞に載っていたが、同感である。な ぜ、謝らねばならないのか。 一言、「心配をおかけしました」とお詫びするのは、それはこ の国で生きていくための「知恵」であっても、「義務」ではな い。「謝罪しない」ことで生きにくくなるような社会が、まと もな社会であるとはどうしても思えない。 この点は、ぼくの親しい友人とも話し合ったが、「やはり謝る べきだ。迷惑をかけたのだから」と言ったのにビックリした。 ぼくは、「謝るな」とは言わないし、言えない。謝らないこと によって危害を加えられるのは、ぼくではなく彼らなのだから 、無責任なことを言う資格はない。謝られることで満足する人 々もいるのだから、適当に謝るふりをしておけばいい場合もあ る。今回は、そうだと思う。言うだけタダなのだから、謝って 得こそすれ、損はないだろう。 しかしそれは、「謝らなければならない」「謝れ」と叫ぶ人々 の意見を真に受けて、心底謝る筋合いのものでは断じてない。 心の中で胸を張って謝ることだ。 3人を誇りにこそすれ、恥と考える必要は微塵もない。 本誌900号の会社員さんの投稿も参考にしていただければと 思う。 http://www.emaga.com/info/7777.html ▼4月15日付東京新聞夕刊1面に、福田官房長官の次の発言 が載っていた。 「(イラクに)行く人が自分の責任で行ったとしても、いった ん、こういうこと(拉致事件)が起こると、どれだけの迷惑が かかるものか、考えてもらいたい。もう少し常識で判断してほ しい。こういうことが起こって残念だ」 これは、3人の後、新たに日本人2人が拘束されたとの知らせ に対しての発言だ。 なぜ、迷惑なのか。福田官房長官は一国の官房長官だろう。な にが迷惑なのか。国民の生命を守るのが仕事だろうが。それこ そ政治家お得意の表現で、“粛々”と行えばよい。 わざわざ(思わず)こういう発言を洩らしたのは、アメリカ追 従しか選択できない自らの愚かさが暴露されたから、不愉快な のだろう。 自分のコントロールできないところで自分の愚かさが露わにな ったので苛立っているのだろう。 国益ではなく、己の権力保持のために3人の存在が邪魔だから 、迷惑だと言ったのだろう。 この発言を読んだとき、非常にいやな予感がしたのだが、それ は見事に的中した。「国家をあげてのイジメ」が既に始まって いる。朝日新聞の記事から引用する。 ▼3人解放から一夜明けた16日、政府・与党内から、「退避 勧告にもかかわらずイラク入りした3人の自己責任」を問う指 摘が相次いだという。 これまでは救出交渉に支障が出かねないと抑えられてきたが、 解放が確認されたことで3人の行動への不満が噴出。 3人の家族は同日午前、国会内で自民党の安倍晋三幹事長に会 い「ご迷惑をかけて申し訳なかった」と陳謝した。 以下、政 治家たちの発言。 公明党の冬柴鉄三幹事長 「損害賠償請求をするかどうかは別として、政府は事件への対 応にかかった費用を国民に明らかにすべきだ」 (16日朝の与党対策本部)。 額賀福志郎政調会長 「渡航禁止の法制化も含めた検討をすべきだ」 (自民党役員連絡会) 安倍幹事長 「山の遭難では救助費用は遭難者・家族に請求することもある との意見もあった」 自民党の外務政務次官経験者が記者団に 「費用は20億円くらいかかったのではないか」 北海道出身の中川経産相 「人質の家族が東京での拠点に使った北海道の東京事務所の費 用負担をどうするか、知事は頭を痛めている」 (閣議後の閣僚懇談会) 井上防災担当相 「家族はまず『迷惑をかけて申し訳なかった』と言うべきで、 自衛隊撤退が先に来るのはどうか。多くの方に迷惑をかけたの だから、責任を認めるべきだ」 河村文部科学相 「自己責任という言葉はきついかもしれないが、そういうこと も考えて行動しなければならない。ある意味で教育的な課題と いう思いをしている」 石破防衛庁長官 「想定される危険から身を守る能力をもった組織は現在の日本 国では自衛隊のほかない、ということで自衛隊が行っている。 渡航自粛勧告が出ているわけで、(イラク支援活動は)いまは 自衛隊でなければできない」 (04/16 17:28) ▼石破防衛庁長官は“いっぱいいっぱい”だということがわか って笑えた。しかし、他の発言は笑い事ではない。人質事件を めぐって、国会では「ことばの暴力」が吹き荒れていると感じ た。他にもたくさんあるだろう。 ここまで政治家たちが一斉に非難したら、国民も「ああ、非難 していいんだ。非難すべきだ」と思って当然。もしも3人とそ の家族に危害が加えられたとしたら、それは間違いなく政府・ 与党の責任である。 公明党・冬柴幹事長の「損害賠償請求をするかどうかは別とし て、政府は事件への対応にかかった費用を国民に明らかにすべ きだ」との発言が象徴的だ。 「損害賠償請求をするかどうかは別と」するならば、なぜ「事 件への対応にかかった費用を国民に明らかにすべき」なのか?  3人を晒し者にするため以外にないではないか。 これをイジメと呼ぶのだ。 こういう発言を垂れ流して恥じぬ人物を、この国の言葉では「 厚顔無恥」の「腐れ外道」というのだ。こうした発言が、自分 のキャリアにとって何がしかのプラスになるとでも思っている のか? もしもそうならば、そう思わせている支持者に責任が ある。 逆上(のぼ)せ上がるのもいい加減にしろ。あなたたちに、バ グダッドの子どもたちを救おうとする気持ちが微塵でもあるの か? 危険をかえりみずマスメディアという名の「政府広報」 「公序良俗くそメガネ」を通さない、イラクの真実、イラクの 子どもたちの姿を日本に伝えようとするジャーナリストを攻撃 する道理があるのか? 劣化ウラン弾という「核兵器」の危険 を知ってモノを言っているのか? どれも当てはまらないでは ないか。何を守ろうとしているのか? これらの発言を問題視 せず「客観報道」しているメディアも犯罪的である。 松沢呉一氏が、また見事な論文を書いている。 http://www.pot.co.jp/matsukuro/20040416_687.html そのなかに、胸打たれる一文があった。ぜひ全文を読んでいた だきたいが、一部引用する。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− まさに高遠さんは危険を承知しながらイラクに行かないではい られない立場にあった人でしょ。 彼女を救出するために、イラクの人たちまでがビラ配りをやり 、「彼女の身代わりになる」と少年が言うくらいに信頼関係が あったわけです。 彼女を「おかあさん」と慕って、写真を持って待っている子供 がいるのをわかっていて、「危険だから、もうイラクには行か ない」で済むわけ? 済む人もいるんでしょうし、その判断に対して私がとやかく言 う立場にはないですけど、「危険があるのに」ではなくて、「 危険があるからこそ」、いてもたってもいられずに出かけて行 かないではいられない人がいることくらいどうしてわからんか な。 冷酷と自覚する私ですけど、自分を「おかあさん」と呼ぶ子供 らを自分の子供のように感じる人に「死ねばいい」などと言う ことはどうしてもできんです。 (中略) 高遠さんと同じ立場になってさえ「あんたたちは危険の中で生 きていってね。私は安全な国に帰るから。日本の自衛隊があん たたちの家族を殺した米軍の手伝いに来ているからよろしくね ー」って子供たちに言い残して日本に帰り、安全が来るまで家 でケツをかきながら寝ころんでテレビを眺めている人がいても いいけど、そうはできない人の足を引っ張りなさんな。 「自業自得」なんてことは、家でポテトチップスを食いながら テレビを観ているだけだから言えること、イラクにただ一人待 っている人がいないから言えること、イラクの人たちはその危 険を長期間強いられていることを実感できていないから言える ことでしかないでしょ。 で、「自業自得」なんて言っている人々が屁をこきながらテレ ビで観ているニュース映像はいったい誰が撮り、雑誌の記事は 誰が書いていると思っているわけ? ロボットか。イヌとかネコか。それとも亀か。カメラマンや記 者が、危険なことをわかっていても現地に行っているからでし ょうが。 そういった報道があるから、ファルージャで何が起きているの かを不十分ながら知り、北朝鮮がどうなっているのかをさらに 一層不十分ながら知ることができるわけです。 テレビニュースの映像、雑誌の記事や写真の手前に人がいるこ とくらい想像しましょうよ。危険を顧みない報道が、私らが考 え、行動することに、どれだけ役に立っているのかくらい想像 しましょうよ。 そういえば、「東京トップレス」(http://tokyotopless.com/) の工藤君との対談で、「写真の被写体のことは考えても、写真 を撮っている存在については考えられない人たち」についての 話が出てましたが、この程度のことさえも想像できないくらい に想像力が欠如している人たちって本当にいるみたいですね。 どうやればそこまで鈍感になれるのかについては、私の想像力 も及びません。 ずっと前に書きましたけど、あえて戦場に行く人たちにも当然 功名心はありましょうし、一般的な日本人より自分の死に鈍感 な人たちでもあるのでしょうが、そうであってもやっぱり私は 「ありがたい」「偉い」と素直に思えます。 戦地に取材に行って死んじゃった人たちはこれまでにもいっぱ いいますが、こういう人たちに「自業自得」なんて言葉を投げ つけるのなら、命がけでビデオを回し、写真を撮り、記事を書 いている人たちに失礼だから、二度とニュースや雑誌を見なさ んな。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ▼「それとも亀か」には笑った。松沢氏の文章は、鋭く本質を 突いている。「想像力」が問題なのである。 「民度が低い」と宮台真司氏はよく使うが、ぼくも「民度」と いう言葉を使うが、実は「民度」という言葉は嫌いだ。これか らは、違う言葉に言い換えようと思う。 「民度」とは、すなわち「他者への配慮」である。 「他者への配慮」なき政治家たちの発言からは、「異質なもの =迷惑なものを排除したいが、排除できないから、もどかしい 」という苛立ちを感じる。ましてや異質な者どもによってメン ツがつぶされたならば! という怒りすら感じる。そろいもそ ろってキンタマの小さいオヤジばかりだ。 帰ってきた3人に、警察が事情聴取することはさすがにないと 思うが、そういうことすら考えてしまう。3人が、国家にとっ て「鼻つまみ者」になったことは確かだ。つまり3人は、イラ クで、人間として胸を張れることをしてきた、しようとしてき た、ということだ。 そして、そうした政治家たちに加勢し、3人とその家族に「自 己責任」を問い、「他者への配慮」を欠如した人たち−−決し て自分の顔がおおやけにさらされる心配のない人々−−が、決 して自分は傷つかない安全地帯から暴力を振るい、想像力の欠 片も持たず、腐り爛れた惨心を、暴力を振るうことによって満 足させることに忙しい日々を送るわけだ。 「自己責任だ、救う必要はない」と、思い、しゃべるのは自由 だ。しかし、そう思う人は、それは3人とその家族に対して言 うべきことではなく、せめて救う主体である政府に対して言う べきであることを弁えてほしい。自らの無知蒙昧で見知らぬ他 人に迷惑をかける愚は慎むべきである。 ▼そもそも、政府・与党のなかに渦巻いていた「つかまったの は3人の自己責任だろう」という不満が、3人の解放以前には 、「救出交渉に支障が出かねないと抑えられてきた」理由も理 解できない。 今、政府・与党が使っている「自己責任」の意味を貫徹させた かったのであれば、救出交渉に支障が出ようと出まいと、「3 人を助けなければよかった」だけのことだ。それが日本国政府 ・与党の掲げる「自己責任論」の帰結でなければならない。 事実、小泉首相は、3人の解放条件に自衛隊撤退が掲げられて いたにもかかわらず、拘束の知らせを聞いた翌日午前、早々に 「自衛隊撤退拒否」を宣言した。これは3人の人命よりも自衛 隊派遣を「優先する」という判断ではなく、あたまから3人の 人命など「考えていない」ことの証明であったと思う。 最大の交渉カードを捨てた後、人命救助が大事などと口走って いたが、寝言は寝てから言うものである。 ▼しかしなぜ、「救出交渉に支障が出る」ことを気にしていた のか。そしてなぜ、いまさらその不満が噴出したのか。 要するに朝日新聞が報じた政府・与党議員の不満の数々は、「 次の選挙で、よく思われたい」「3人の人命を第一に考えない ことをあからさまに示したら、次の選挙にマイナスになるかも 知れない」という、票欲しさ、権力保持の世間体、私利私欲の 歪んだ噴出にすぎないのではないか。 それが、「救出交渉に支障がでるから我慢していた」「人命が 助かったから、不満爆発」の真相なのではないか。前から、政 治家というのはこういう卑しい人種だったのか。 私利私欲への執着の公然たる表明に、何が正しいか、間違いか に迷い始めている国民が、感化されないはずがない。 不安を鎮める格好のサンドバッグ、暇つぶしネタの登場である。 ましてや、「再三再四、渡航勧告を出していた。自業自得だ」 という「論理」がある。 見殺しの暴力は、出来合いの「論理」で覆うことができる。 ではこの場合の論理とは何なのか。徹底して詰めないといけな い。それを、前出の松沢氏の論文が果たしてくれている。 そして同時に、そもそも論理に先立つものがあるはずだ。それ は何か? この問いを問う必要があるのではないか? 論理を、何のために使うのか? 経世済民、政治の王道は、こ の問いに存するのではないか。 「国民のため」とは違う、他の動機を、論理が覆っている。 ともあれ、自衛隊派遣の是非を問う議論とはまったく関係ない 次元で、テレビ新聞マスメディアの「情緒の洪水」が起こるに 違いない。そして、国益に資する本来の政治的議論は消え去る だろう。 ▼まもなく起こる情況に備え、少しでも3人とその家族を守る 防波堤になればと思い、ぼくは「いじめの問題は、いじめる側 に全責任がある」という、予め立っている立場を、再び書いて おこうと思う。 「イジメは、いじめる側が100パーセント悪い」という意見 に対して、「はあ?いじめられる側にも、いじめられる何らか の原因があるから、いじめられるんじゃないの?仕方ないよ。 いじめられる側にも悪いところがあるんだよ。なに言ってんだ よ」と思った人がいるかもしれない。 少しでもそう思っている人に借問しよう。いじめられている子 に、「いじめられる何らかの原因」とやらがあったとしよう。 ならばあなたは、その子を「いじめる理由」「いじめる正当性 」を持っているのか? 「いや、私がどうするかという話じゃなくて、一般論としての 話だよ。私はいじめないよ」と言うか? 違う。これは「あな た」の問題であり、「わたし」の問題だ。 “「いじめられる側にも理由がある」という「論理」が「暴力 」になる、という論理”を理解できない人のことを、「日本人 」と呼ぶのだ。それをどう変えるかという問題だ。 3人に対するだけの問題ではない。在日外国人に対して、難民 に対して、社会的に弱い立場に立っている人々に対して、えと せとら、これは普遍的な問題だ。 「自衛隊派遣に反対」を表現した国民の自由を、国策のために 封じる自由を国家は持っていないし、持たせてはいけない。 「非国民」を容赦なく密告し糾弾した戦前の雰囲気を、ぼくは 知らないが、こういう雰囲気だったのかな、と思う。年配の読 者からの投稿をいただきたいところである。 まったく何も変わっていないのだろう。今まで何度か紹介した 、深代淳郎の天声人語を引用しておく。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 忍びざるの心 孟子は「性善説」をとなえた儒家だった。もちろん人間の心の 中には、悪魔も住んでいることを知っていた。しかし彼は、人 間の中の高貴な部分に希望を託した。現代風にいえば、人間性 を信頼する楽天家だった。 孟子は、性善説を説くのに「人にはみな、人の忍びざるの心あ り」といった。他人の不幸や苦痛を見すごしにできない本性が 、だれにもあるということだ。そのことをこんな風に証明する 。「赤ん坊が井戸に落ちようとしたら、だれでもかけ寄ってだ き抱えるだろう」。 「それは人にほめられたいためではなく、本能的な行為なのだ 。この心のない人は、人間ではない」。孟子の話を持ち出した のは、新聞で二つの水死を読んだからだ。茨城の那珂川で、小 学校一年生の子が深みにはまった。いっしょにいた子供たちが これを助けようとして、つぎつぎにおぼれ、助けようとした二 人が死に、三人が助けられた。 引率者はどんなに責められても仕方ないだろうが、友人を救お うとして、おぼれ死んだ子供たちに、胸のつぶれる思いがする 。もう一つは、皇居のお堀にとび込んだ13歳の少女の話だっ た。おぼれていくのを、十数人のヤジ馬が見ていたという。通 りかかった警官が「だれか110番してくれ」といったが、動 こうとする人はいなかった。 15分ほど前から見ていた人がいたそうだから、連絡が早けれ ば助けられたかも知れなかった。少女は「体が弱い」という書 き置きを残し、父親につれられて何度か散歩したお堀端を、死 に場所に選んだらしい。十数人の見物人に「人に忍びざるの心 」がなかった、とは思いたくない。それでは孟子さまのいう通 り、人でなしだ。 だが、なぜ何もせず、見ていたのだろう。見物人たちは、家に 帰って食卓の話題にして、その夜ぐっすり眠ったのだろうか。 (1973/8/11) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ▼「人でなし」は、自分が「人でなし」だと自覚しないから、 人でなしなのだ。 この状況下において、解放された3人とその家族に「自己責任 」を問う輩は、想像力が徹底的に欠如した「人でなし」だ。 老若男女問わず、「自己責任」狂いの愚を撃て! それがニッポンという「イジメ大国」を、「共生の大国」へと 変える第一歩であり、橋頭堡であると信じる。